「彼の技術じゃ無理だ、って誰もが思いますよ」登山器具もまともに扱えなかった栗城史多がマッキンリーを目指した理由
「ええっ! 登ってしまったか!」登山歴2年の若者・栗城史多がマッキンリーで起こした奇跡
学園祭では3年間「脚本・演出・主役」
「いやあ、信じらんねえ……あいつがテレビカメラに囲まれてるなんて……」
新千歳空港の出発ロビー。栗城さんを見送る一団の中から、そんな声が聞こえた。2009年4月、栗城さんがエベレスト初挑戦を前にした最終調整で、ネパール北部ヒマラヤ山脈のダウラギリ(8167メートル・世界7位)に出発する日だった。
声のした方を振り向くと、いずれも純朴そうな2人の若い男性が立っていた。2人が栗城さんに向かって手を振ると、人垣の向こうで彼は小さく頷いた。話は聞けなかったが、かつての同級生だと思われた。
学生時代の栗城さんについて知りたいと思ったのは、「信じらんねえ」というその一言がきっかけだった。
札幌から南西方面へ車で4時間ほど走ると、恐竜が寝そべったようなどっしりとした峰々が右手に見えてきた。ギザギザしたその連なりの麓に、栗城さんの母校があった。
北海道檜山北高校。実家のある今金町には高校がないため、栗城さんは町内の大半の若者がそうするように、隣町、せたな町にあるこの高校に入った。
2009年7月。私を出迎えてくれたのは、高校での3年間、栗城さんの担任だった森聡先生である。当時45歳、私と同年輩の実直そうな先生だった。
「いやあ、栗城には振り回されっぱなしでしたよ」と森先生は優しそうな目を細めた。
「普段はそんなにしゃべらないんですが、学校祭が近づいてくると、急に張り切りだすんですよ。うちの学校祭ではクラス対抗で演劇のコンテストがあるんですが、その準備期間中ずっと、私は彼のパシリをさせられるんです。あれ用意しろ、あそこまで車を出せ、の連続で」
いったん話を切ると、森先生は懐かしそうに笑った。その笑顔を会話の句読点として挟みながら、教え子との思い出を振り返ってくれた。
「栗城は脚本も演出も手掛けて、主役も自分で演じていました。3年間ずっとそうです。しかも後になって気づくんですが、1年、2年、3年とストーリーが続き物になっているんですよ。1年目は原始人が出てきて、2年目はラーメン屋が舞台で、3年目は『踊る大捜査線』のパロディで刑事の話なんですが、実はつながっている。いろいろあった奇妙な出来事は、全部栗城が演じるワルの親玉が仕組んだことだったって、3年目でわかるんです。これには本当にビックリしました」