パンダに対する妄想力と人並外れた洞察力が炸裂
続の考える文面がまあ、突飛もない。次の依頼は、どんなにだらしない振る舞いをしてもひどい我儘を言ってもすべてを受け入れてくれる彼氏と別れるための手紙を書いてほしい、という女性の無茶ぶりなのだが、「パンダに端を発する手紙がまさかそんな異次元の展開を見せるとは……!」と遠田と一緒に度肝を抜かれること請け合いだ。
読んでいるだけでつい吹き出してしまうのに、Amazonオーディブルで配信もされている今作、男性の渋い声で淡々と語られていたのが次第に妙な熱を帯びはじめ、読んでいるときよりもさらに遠い異次元にぶん投げられるような心地がしてしまう。作家と声優、二つの巧みな才能があわさるとこんな表現が生まれるのかと感動もするが、これから読む/聴く場合は、移動中の電車などを選ばないことをおすすめする。咳払いして笑いをごまかすことになるのが、目に見えている。
すでに本書を読んで、この手紙のくだりを大いに楽しんだ方には、冒頭でも触れた『のっけから失礼します』もあわせて手にとることをおすすめする。雑誌『BAILA』に連載したエッセイをまとめたものだが、しをんさんいわく「おバカな話の波状攻撃」に満ちた一冊で、本当に女性誌に掲載されていたのか?と疑いたくなるほど。
「もふもふパンダ紀行」なる一篇では、白浜アドベンチャーワールドに行くことになったしをんさんのパンダに対する妄想力と人並外れた洞察力が炸裂し、「なるほど、こういう経緯であの手紙は生まれたのか……」と裏話を読んでいるようなおもしろさもある。
ちなみにエッセイのいちばん最初には、しをんさん自身が頻繁に人から話しかけられやすい体質であることが語られており、その時点では『墨のゆらめき』の構想はなかったはずなのに、物語の芽はすでに生まれていたのだなあ、と思うと興味深くもある。
人から話しかけられやすいしをんさんは、雑談を楽しむ力にも長たけている。つかのま乗り合わせただけのタクシー運転手とも、定期的に通う近所のマッサージ師とも、意味があるようでなさそうな会話を楽しみ、想像力(ときに妄想力)をふくらませて、相手と、相手の触れている世界をおもしろがることのできる人なのだ。その姿勢がきっと新しい「好き」を呼び寄せ、世界を彩り豊かなものにしていくのだろう。
そしてその力は、今作において続にも受け継がれている。遠田と関わるきっかけは仕事で、代筆業にも巻き込まれただけだったけれど、自分にはない能力をもつ彼を素直に称賛し、彼が抱えている苦しみや哀しみの欠片が見えたら、そっと拾おうとする。目の前にいる人に真摯しんしに向き合う続だからこそ、人知れず孤独を抱え続けてきた遠田にとって、唯一無二の相棒になれたのではないかと思う。
すべてを理解できなくたっていいのだ。仕事におけるたった一つの能力を認め合うだけの関係でもいい。その人が世界に存在していることの価値を、その人が何かを成すことで彩られていく世界のおもしろさを、肯定することさえできればそれだけで、きっと。
二人の関係性の変化を通じて、そんな救いを描いた本作。私たちもまた読み終えたときには、きっと何かが救われている。
文/立花もも