何か決断するとき、私はあまり迷わない。思いついてから行動に移すまでが、早い。振り返れば、会社を辞めるときも、知らない国に行くときも、恋をするときもそうだった。失敗したらまたやり直せばいいやと、いつもどこかで思ってきたのかもしれない。だからなんでもさっさと決めて伝えてしまう。辞めます。行きます。好きです。
目を瞑りたくなるのは、言ってしまったあと。さあ、これからどうなるんだろう。何が私を待ってるんだろう。叱られるかな。うまくいくかな。断られるかな。それは、何かが始まる一瞬前の、とても長い一秒間だ。
神話や民話を読むのが好きなのは、まるでそんな一秒間なんてどこにも存在しないかのように、どんどん出来事が展開していくからかもしれない。主人公たちは若くて向こう見ずで自分勝手で、現代文学みたいにごそごそ内省したりしない。
漫画『ぼおるぺん古事記』は、アマテラスをふっくら肥えたギャルみたいに描き、スサノオをわんぱくな幼稚園児みたいに描く(でも顔はおじさん)。アメノウズメはやっぱり妖艶で、ニニギはこざかしい小学生みたいだ。『古事記』は冒頭の長々しい名前の羅列に目がちかちかしてなかなか通読できずにいたけれど、この漫画はこうの史代さんの愛のこもったキャラクター造形の妙にすっかり魅せられて、一気読みしてしまった。
『クマにあったらどうするか』は、私の寝室の枕元に常備してある本。登山が好きで、山を歩くときにはいつもクマにあうことを夢想するのだけれど、ほんとうに出あってしまったらと考えると怖くなる。クマを撃つことを仕事にして生きてきた姉崎等さんの言葉はどこまでも経験に根ざし、実用的で、必要以上に怖がらせない。クマへの敬意と、自分の身を守る術が、その行動を貫いている。
人間でもクマでも、向かいあう相手を「怖い」と感じるとき、私たちは無意識に、目だけでなく相手に対する敬意や興味も瞑ってしまうのだと思う。瞑れば見えなくなるから、よけい怖い。いつかクマにあうときには、目を瞑らないで礼儀正しくあいたい。そんな、ひらいた自分でいられるように、私はこの本を寝る前にひらいて、予習するのだ。