つくづく次官の地位も堕ちるところまで堕ちたと痛感
先輩次官から見ると、福田のハレンチ行為は本人の性格による失態と映るようだが、現役の中堅幹部は「暇だ」「仕事がない」という暴言を、怒りを含んだ口調で厳しく非難した。「やはり官僚をめざした以上、事務次官は心のどこかで一度は夢見る世界」と心情を素直に吐露した上で、仰ぎ見る次官という存在に幻想のようなものを抱いていた自分を、あの事件で心底恥じたという。
「正直なところ、次官というポストは本当に忙しいと思っていました。昼は省内の総合調整に奔走して、夜は夜で政界の大御所や経済界、マスコミの大物と会合を持ち、天下国家を論じているとばかり信じ込んでいた。そういう次官ならではの付き合い方が、我々部下が学ぶべき何かを示唆してくれるものと思っていた。それを、失礼ながら若い女性記者を相手に言葉遊びに興じていたなんて、つくづく次官の地位も堕ちるところまで堕ちたと痛感した出来事でしたね」
ただ、会合を持つにしても、あくまで割勘を前提に話している点を改めて強調した。総務省の幹部が菅義偉元首相の長男が勤める放送会社から頻繁に接待を受けていた事実が槍玉に挙がったが、この中堅幹部は「一方的にごちそうになるから問題なのであって、自腹を切って割勘にすれば何の問題もない。役所を引っ張る次官が最先端の情報に接しているのは大事なことで、一番高給を食はんでいる次官はそのぐらいの出費を覚悟して当然だと思う」と、国家公務員倫理規程の縛りに言及するのも忘れなかった。
福田のセクハラ騒動が財務省に残した傷痕があるとすれば、それは何だろう。若手の官僚が起こした不祥事ならまだしも、あえて繰り返すが、同期との30数年の出世競争を制して勝ち上がった事務次官の空前絶後と言えるハレンチ行為なのだ。もう一人の中堅幹部は、98年の大蔵省不祥事と重ね合わせながら、この騒動がそれとは別次元のインパクトがあったことを率直に認めた。
「20年前の大蔵省不祥事の頃は、大蔵官僚=エリートというフィクションが成り立っていた。次官が次々に辞任に追い込まれ、大蔵省を見る目は一段と厳しくなっていたものの、明治時代からのキャリア制度の下で、変な言い方だがエリートの余韻というものがかろうじて残っていたと思う。それにとどめを刺したのが福田次官のセクハラ疑惑であり、財務省に限らず霞が関全体のエリート神話がこれで一気に崩壊したのではないか」
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