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大蔵・財務の歴代次官たちは
退職後も天下りの恩恵に浴してきた

事務次官の年収は民間企業の社長に比べると物足りない数字ではある。だが、報酬面から事務次官を語る時、現職時代の年収だけでは物事の一面しか見ておらず、生涯年収においては指定席の天下り先を渡り歩いて高収入を得ているのではないか―そうした批判的なイメージをお持ちの方もおられるだろう。

過去、大蔵次官を経験した後、最も華麗な天下り先を歩いた人物に森永貞一郎(1932年入省)がいる。中小企業金融公庫総裁―日本輸出入銀行総裁―東京証券取引所理事長―日本銀行総裁と、絵に描いたような華やかさであった。輸銀総裁を経て東証理事長あるいは日銀総裁のどちらかに就くOB人事は珍しくなかったが、両方を掌中にした人物は森永を措いて他にない。

森永を頂点に、大蔵・財務の歴代次官たちは退職後も天下りの恩恵に浴してきた。なにしろ霞が関にあって、「官庁の中の官庁」と言えば旧大蔵省であり、全省庁の最上位に君臨する事務次官が大蔵次官であったのだから。それは、同期から一人の大蔵次官が生まれるだけでなく、他省庁を含めて何人もの次官が輩出したことからも頷ける。

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大蔵省による他省庁支配以外の何ものでもない

余談になるが、官民を問わず、どんな組織にも有能な人材が群れを成す「花の○○年組」という年次が存在する。他省庁を睥睨する絶大な権力を握る時代の大蔵省で、その象徴的な年次が1943(昭和18)年組と、66(同41)年組であったことに異論を差しはさむ向きはないだろう。この二つの年次は、それぞれ同期から五人の次官が生まれた。

[43年組]
 髙木文雄 大蔵事務次官
 橋口 収 国土事務次官
 船後正道 環境事務次官
 田代一正 防衛事務次官
 新保実生 北海道開発事務次官

[66年組]
 武藤敏郎 大蔵・財務事務次官
 岡田康彦 環境事務次官
 久保田勇夫 国土事務次官
 佐藤 謙 防衛事務次官
 松川隆志 北海道開発事務次官

時代が演出した霞が関人事とはいえ、ここまでくると大蔵省による他省庁支配以外の何ものでもない。明治期に成立した各省官制以降、連綿と続いてきたキャリアという特権身分制度とともに、予算編成権を盾に絶対権力としての大蔵省を温存してきた日本的官僚制度の最後のあだ花ともいえる。今や行政改革によって官庁が統廃合されたり、一強だった財務省の権力構造が弱体化したり、他府省での次官ポストを死守しているのは環境省くらいだったが、そこも2022年の夏の定期異動で生え抜きに譲り渡してゼロになった。