大いに羽目を外して
馬鹿騒ぎのできる人物が一目置かれる

ほとんど開いた口が塞がらない後味の悪さを感じさせる音声を聞きながら、百数十年前の大蔵省創設後、この役所にひそかに根づいてきた「ワル」と呼ばれる文化も脳裏に浮かんだ。ワルと言っても、いわゆる悪党や悪人など犯罪者に近い人物を指すわけではなく、一言で説明すれば、「勉強もできるが、遊びも人一倍できる秀才」をそう呼んできたのだ。

そんなワルの文化がいつ頃花開いたかは定かではないが、官界や法曹界に進む一群のエリート候補を全国から集めた旧制高校―その中でも東京に置かれる旧制第一高等学校(通称・旧制一高)は最上位の位置づけにあった―の卒業生がつくり上げた文化だと言われる。

高校の寮生活で、酒を飲んで暴れたり、弊衣破帽・高下駄姿で道を歩きながら高歌放吟したり、単にガリ勉タイプの秀才でなく、大いに羽目を外して馬鹿騒ぎのできる人物が一目置かれる存在となった。飛び切りの秀才に似つかわしくない傍若無人ぶり―そのギャップの大きさが、秀才をより引き立てる効果を生み、とりわけ官界最高峰の大蔵省ではそんな人物が出世の先頭集団を走る傾向が強かった。

「胸、触っていい?」のハレンチ「福田淳一元財務次官」はテレ朝記者にセクハラ…1.7年に1人辞職!「次官の地位は堕ちるところまで堕ちた」_3

さすがに大蔵省不祥事による112人にのぼる大量処分(1998年)で、ワルは一掃されたと思われていた。処分の基準は民間金融機関などからの接待の多さであり、俗っぽく言うなら「遊びの度が過ぎた」人たちが訓告や戒告の対象になったため、ワルの文化そのものにとどめが刺されたと受け止められたからだ。

だが、表向きワルの芽は摘まれたように見えたが、地下茎でしぶとく生き延びていた。伝統的なワルの文化からすると、福田のケースは小粒で稚拙な印象を受けるが、やはり事務次官という頂点を極めた人物が演じたセクハラ疑惑だけに、外から見る目はより厳しくなって当然であった。

「福田さんは頭も良いし、捌さばきも速いので、同僚が一日かけてやるのを自分は5分あればできるし、余った時間を遊びに使って何が悪いと思うタイプ。あえて言えば、真面目な顔をして真面目なことをしても面白くない、チャラけた部分を演じることで自分をより大きく見せることに快感を感じていたのではないかと思う。福田さんを見ていると、財務省にあってワルの文化の最後のあだ花という感じがするし、優秀さからして主計局長にはふさわしかったのかもしれないけど、やはり事務次官となると不適格な人だったと思いますね」