「書いただけで伝わった」と思ってはいけない
小路さんはバックヤード業務だけでなく、人の目に触れる部分でもさまざまなデジタル活用を行っている。その1つが檀家さん向けの会報誌、いわゆる寺報の発行だ。
作り始めたきっかけは、地域の人に顔を知ってもらうためだった。冊子づくりの知識があったわけではないが、編集と執筆、レイアウトまで、1人で試行錯誤しながら作り上げた。しかし、第2号目を発行した直後、小路さんはショッキングな光景を目にしてしまう–––––精魂込めて作った寺報が、お寺のゴミ箱に捨てられていたのだ。
「ショックでしたが、仕方のないことだと思います。私だって、つまらなそうだったら捨ててしまうし。最初の頃の寺報は文字がびっしりと詰まっていたんですけれど、『書いただけで伝わったと思ってはいけない』ということを、そのときに痛感しました」
小路さんは、それからコピーライティングやデザイン制作の本を読み漁り、人に見てもらえるモノづくりのノウハウを磨き上げていった。今や寺報の発行も10年を迎え、最初の頃とは段違いの出来栄えになっている。ホームページ上でPDFが公開されているので、是非、見比べていただきたい。
善立寺のホームページも、すべて小路さんの手づくりだ。寺院の紹介に留まらず、仏教に関するコラム記事やインタビュー記事が何本も掲載されており、さながらWEBマガジンの様相を呈している。やはりこちらもすべて独学だというが、高品質なホームページを制作する技術的な手腕もさることながら、読み応えのある記事を何本も公開する「発信力」の高さに、ただただ感服するばかりだ。
そもそも善立寺の場合、ホームページがどれだけ充実しても、直接的な利益にはほとんどつながらない。多くのWEBメディアのように広告収入があるわけでもないし、寺院の知名度が上がって売り上げが伸びるというビジネスモデルでもない。それなのに積極的に更新していくモチベーションはどこにあるのだろうか。
「寺報をWEB化しようというのがスタートで、寺院や仏教のことをとにかく知ってもらいたいという思いが原点です。例えば、お焼香の方法をインターネットで調べると、だいたい葬儀屋さんが説明しているホームページに辿り着きます。でも、中には間違ったことが書いてあることも多いのです。だから、寺院側で正しい情報や教えを伝えていくことが大切かな、と思っています」