京都・鞍馬山の思い出

暑い夏が近づきセミが鳴き始めると、リヴァー・フェニックスのことを必ず思い出す。

そのとき彼は鞍馬の山道で私の前を登っていた。背負ったリュックを放り投げたいほど私は背中に汗をびっしょりかいていたが、リヴァーはケロッとして私の前をどんどん行く。鞍馬寺の前でハイヤーを降り、リヴァーと6歳年上の彼女のアリス、通訳の私と数人のスタッフで、奥の院魔王殿を目指して歩き始めて、10分ほど経ったころだった。

足元を見ながらみんなのスピードについていこうと登っていて、ふと気になり顔を上げ、初めてリヴァーの姿が消えたと知ったときは、「どこへ行ったのよ」と、と戸惑うよりも腹が立った。だが、しばらくして、彼を見失う心配はまったくないと確信した。リヴァーはしばらく行くと必ず私を気にしてか振り返り、かなりこちらが遅れているのを確かめてから、山道から外れて、姿を消す。何度かそれを繰り返されたが、彼は必ず帰ってくる。見失う心配はまったくなかった。

ガス・ヴァン・サント監督、キアヌ・リーヴス共演の『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)のPRのために、2度目の来日を果たした1991年9月。東京での仕事を終え京都まで足を伸ばして、京都の老舗旅館“柊屋”に2夜宿泊。その中日、鞍馬の山に登ることにした。誰が言い出したかは、記憶にない。

鞍馬山で。日比谷で。通訳が見たリヴァー・フェニックスの素顔_1
『マイ・プライベート・アイダホ』で共演したキアヌとは、実生活でも親友同士だった
Mary Evans/amanaimages

同じ山道を下るよりも西の貴船のほうに抜けよう、となった。「確か貴船川の川床に数軒店が並んでいて、流しそうめんがおいしかったはず」との、同行した映画配給会社の男性スタッフの提案で、貴船でお昼を食べることになった。

川床の上にしつらえた素朴な店構えを、リヴァーはいたく気に入ったようだった。そうめん汁は昆布だしか、野菜の天ぷらの揚げ油がなたねであるかを、私はまず確かめた。前日の柊屋の間違いを繰り返さないためである。リヴァーがヴィーガン(完全菜食主義者で、卵類を食べる人もいるヴェジタリアンとは異なる)であるのは有名だった。前日の夕食で京都の老舗の豆腐が膳の上に並んだが、鰹節がかかっていたのでリヴァーとアリスは手をつけなかったのだ。

ふたりは本当においしそうに、気持ちよく昼食を平らげた。食後は、赤い敷物の上にごろりと横になったりもした。当時の貴船の公営バスの時間は2時間に1本。さてどうしよう? そのとき、店主が申し出てくださった。「男性陣が荷台でよければ貴船駅までトラックでお送りしますよ」
それを伝えるとリヴァーは嬉しそうに躊躇なく、誰よりも先にトラックの荷台に飛び乗った。私とアリスは助手席に並んで座った。

鞍馬山の汗。貴船の川床。トラックにみんなで乗ったこと。
夏が来て蝉の声を聞くと、リヴァーの面影と共によみがえる。

鞍馬山で。日比谷で。通訳が見たリヴァー・フェニックスの素顔_2
ロードショーの表紙を飾った美しいリヴァーの肖像
©ロードショー/集英社