“ポスト・レオ”の筆頭だったキップとは!?

小学生のときに映画ファンになって以来、映画雑誌「ロードショー」は憧れの存在。ただし限られた小遣いなので、もっぱら書店で表紙を眺めるだけ。中学生になってようやく、大学街の古書店で数か月(もしくは数年!?)遅れの「ロードショー」を手に入れて、貪るように読んだもの。

今思い返すと、情報の精度は低かったと思うが、雑誌の中にきらびやかなハリウッドが存在していたのだ。昭和生まれの人ならきっと共感してくれると思うが、間に写真やメモなどを挟める透明下敷きに好きなスターの写真切り抜きを入れて悦にいる中学生だった。もちろん挟む写真は「ロードショー」から切り抜くわけで、大好きなポール・ニューマンやスティーヴ・マックイーンらのかっこいい写真が載っているのを願っていた記憶がある。

なにせティーンである。映画を見る際に、物語のテーマや面白さは漠然と理解できていたと思うが、俳優陣の演技力やアンサンブルの魅力、撮影ディテールや衣装、美術、音楽の使い方など細部までしっかりと見極めることはできていなかった。ただただ、かっこいいと思う俳優にきゃあきゃあと嬌声を上げていただけ。責任転嫁は良くないのだが、女性映画ファンのルッキズムを育んだのは映画と映画雑誌と言ってもいいかもしれない。ジョン・ヒューズ監督のティーン映画やブラット・パック(1980年代に人気があったヤングアクターたち)が活躍する青春映画に萌えていた。

さて、時間をどんどん進めよう。90年代くらいから、実際に「ロードショー」で原稿を書かせていただけることになったときは心から嬉しかったし、編集者も仕事のしやすい人ばかりで、原稿にも気合が入った。当時はレオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットがイケメン俳優の代表格で、ハリウッドはもちろん、日本の映画配給会社は彼らに続く若手のイケメン俳優の発掘に力を入れていたと思う。

ロサンゼルスでの撮影当日に突然のNG! はかなく消えたキップ・パルデュー写真集企画_1
ポスト●●探しは定番記事。こちらはジョニー・デップに続くスターを特集したもの
©ロードショー2008年5月号/集英社

とにかく新人がデビューすると、必ずと言っていいほど“ポスト・レオ”“ポスト・ブラピ”なんて肩書きをつけられていた。個性を大事にする俳優本人には申し訳ないが、マイケル・ピットやライアン・フィリップ、ジョシュ・ハートネット、スコット・スピードマンあたりについての原稿には“ポスト・レオ”と書かれていたはずだ。そのひとりであったキップ・パルデューは、「ロードショー」絡みでものすごく記憶に残る俳優となった。

田舎町の高校が舞台の『タイタンズを忘れない』(2000)で、人種的偏見のないカリフォルニアからの転校生という大役を得たキップの写真集を発行することになり、インタビュー原稿を担当することになったのだ。“ジャンケット”※にキップが参加するので、それに合わせて編集担当者のU氏やベテランスタイリストS氏と一緒にロサンゼルスに向かう飛行機に乗った。

※ジャンケット:映画プロモーションの一環で、メインのスタッフ・キャストが一堂に会し、インタビュー、会見、試写会などが華々しく行われるイベント

ロサンゼルスでの撮影当日に突然のNG! はかなく消えたキップ・パルデュー写真集企画_2
『タイタンズを忘れない』で鮮烈な印象を残したキップ(右端)。中央には若きライアン・ゴズリング(『ラ・ラ・ランド』)の姿も
写真:Album/アフロ