おなかが痛いと思うと、本当に痛くなる

ところで、リヴァーを初めて見た(会ったのではない)のは、いつ、どこだったか?

それは、『スタンド・バイ・ミー』(1986)のPRで初来日し、取材開始時間の30分ほど前に彼の部屋に行ったときのことだった。
ハリウッドでは有名な子役専門エージェントの女性に「ホテルの前の公園に出かけたけど、あの子は必ず時間には戻ってくるから心配しないで部屋で待っていても大丈夫よ」と言われたが、通訳としてはできるだけ取材者よりも早く顔合わせをしたいといつも考えているので、「公園まで行ってくる」とスタッフに伝え、私は帝国ホテルの前の日比谷公園に出掛けた。

鞍馬山で。日比谷で。通訳が見たリヴァー・フェニックスの素顔_3
『スタンド・バイ・ミー』で映画ファンの心をわしづかみに。リヴァーは左からふたりめ
Capital Pictures/amanaimages

どこからか音楽が聞こえる。それを追うと、リヴァーがギターを弾いていた。隣の父親とおぼしき男性と、数人の日本人観客が耳を傾けていた。その7年後に、青山で初めてレオナルド・ディカプリオを見かけたときの衝撃に似て、今風に言えば「わぁ~イケメン!」と、口を開けて見入ってしまうほどのオーラだった。

ホテル室内での取材よりも外に出ることを好み、代々木公園での「ロードショー」独占撮影では、本当に楽しそうだった。だが、それも途中まで。予定は撮影2時間だったが、1時間を過ぎた頃、柵の上に座ってとリクエストされてポーズを取った後、リヴァーがおなかを押さえた。「ウン? どうしたの?」慌てて駆け寄ると、私がまったく想像もしなかった答えが返ってきた。

「ずっと従順にポーズをとってきたけれど、この変でちょっと“ワル”になってみたくて」
「?」
「僕がおなか痛いって言ったら、みんな困るよね」
「もちろん」 

肩に手をやり、そう答えながら顔を見ると、本当におなかが痛いのではとしか思えない表情だった。
「この子は何なんだ? 自分の感情に従って、自由に体調までコントロールできるの?」
カメラマンは彼の体の変調にすぐ気づき、「10分休憩しましょう」と声をかけた。私は、どこまでリヴァーの言葉を信じてよいかがわからず、それでもそばを離れず、黙って脇に立った。

20分ほど経った頃だったと思う。リヴァーが言った。
「自分でおなかが痛いと思うと、本当に痛くなるけど、大丈夫だと思うと少しずつもとに戻る」
ちょっと、囁き気味で。

鞍馬山で。日比谷で。通訳が見たリヴァー・フェニックスの素顔_4
「ロードショー」2003年10月号、リヴァーの追悼特集で再掲載された、代々木公園での特写
©ロードショー2003年10月号/集英社

そのときは撮影を順調に進めることに必死で、彼の言葉を深く考えなかったが、その後、彼の「自分でおなかが痛いと思うと、本当に痛くなるけど、大丈夫だと思うと少しずつもとに戻る」という言葉が繰り返し思い出される。彼はあのときまだ16歳。生きていてほしかった。確実に、とてつもなく魅惑的ないい役者になっただろうに。

そのほか、つらつらと思い出される彼の言葉:
■「アリスと今、マイアミの図書館の隣に住んでいる。学校に行く必要はない。知りたいことはすべて、図書館の本の中にある」
■プレゼントをくれるファンに「今回はこれをもらうけれど、次は、このお金を熱帯雨林保護の募金に寄付して」
■「着ている服はすべて古着。上から下までで10ドルしない。ホテル内では裸足」

一番下の妹サマー(ベン・アフレックの弟ケイシーの元妻)が『エスター・カーン』(2000)で来日したとき、「リヴァーのことはあまりよく覚えていないけれど、優しいお兄ちゃんだった」と言ってたっけ。

リヴァー・フェニックス River  Phoenix

鞍馬山で。日比谷で。通訳が見たリヴァー・フェニックスの素顔_5

Alpha Press/amanaimages

1970年、米・オレゴン州生まれ。宗教に傾倒する両親に連れられ、南米含む各地を転々とする貧しい子供時代を送る。子役としてTV出演ののち、『エクスプロラーズ』(1985)で映画デビュー。翌年、4人の少年のひと夏の経験を描いた『スタンド・バイ・ミー』でブレイク。『旅立ちの時』(1988)ではアカデミー助演男優賞にノミネートされた。私生活では動物と環境保護に尽力しつつ、ミュージシャンとしても活躍。世界中から愛されながら、1993年10月3日、ジョニー・デップが経営するクラブ・ヴァイパールームにて、薬物の過剰摂取で倒れ、23歳で帰らぬ人となった。4人の弟妹もみな芸能関係に進み、特にホアキン・フェニックスは有名。『ジョーカー』(2019)でアカデミー主演男優賞を受賞した際のスピーチは、兄リヴァーの書いた歌詞「Run to the rescue with love and peace will follow」(愛を胸に人を救えば、心に平和が訪れる)で締めくくった。