原点にあるのは「言葉ではないもの」

──細田さんの作品には、セリフではなく絵の力で物語が進んでいく場面が多くあります。そうした表現には、ご自身のバックボーンも影響しているのでしょうか。

そうです。吃音だからこそ、言葉にもこだわるし、逆に言葉でない表現にもこだわらざるを得ない。

同じようなことを、山下達郎さんとも話したことがありました。「絵で伝えていることは、なかなか気づいてもらえない」とボヤいていたら、達郎さんが「音楽も同じだ」とうなずいてくださったんです。

曲を聴くことが、歌詞を読むことになっている人も多い。でも本当は、音そのものに込めているものがある。アニメーションも同じで、批評や感想の中心はセリフになることが多いけれど、作り手としては言葉以外のところに熱を込めていることがある。

『時をかける少女』の絵コンテ
『時をかける少女』の絵コンテ

──そうですね。

例えば『時をかける少女』(2006年)では、真琴が1分間走るシーンがあります。単に走っているわけではなくて、焦りや後悔、千昭に対する決意……言葉にできない感情を、走る身体そのものに託している。

言葉にすれば一言で済むかもしれないものを、絵と動きで、時間をかけて伝えようとしたシーンです。

アニメーションは、魂のような「目に見えないもの」を描くのに長けている表現だと思っているんですね。目には見えないけれど、確かにそこにある感情や気配を、絵にすることで届けられる。僕は、そういうことを信じて描いているんだと思います。

自分の原点にあるのは「言葉ではないもの」かもしれません。