死者と出会える劇場

小川 死がすぐそばにあるという感覚のなかで生きているからこそ、『ハムレット』のような作品が書かれたわけですね。

河合 そうですね。光があるのは影があるからという考えが根底にあったのだと思います。死があるからこそ、今を生きているのだ、と。こういう意識は、SNSが普及した現代社会では希薄になっているのではないでしょうか。みんないつまでも若く、美しくいられると信じていて、死は自分から遠いものだと感じているようですが、そんなことはありません。人はみんな死ぬんです。

小川 死は平等に訪れる。

河合 そうです。そのように考えたときに、こんなことしている場合じゃないと気づくんですよ。シェイクスピアのなかには“今”という瞬間への強烈な意識がありました。

小川 だから死者を蘇らせたりもするわけですね。死者との境界線が消えた瞬間に自分の生の輪郭がはっきりしてくるということをシェイクスピアは示したんでしょう。

河合 小川さんも『劇場という名の星座』で生と死を見つめていますよね。死者も出てきます。

小川 私は劇場とは死者に出会える場所だと思っています。舞台に立つ役者さんは死者の国から来た人と対話し、やがて死者の世界に帰っていくのだろうと。

河合 本のタイトルもそのようなイメージを喚起する詩的なものですね。人はみんな星になると言いますから。『ロミオとジュリエット』でもジュリエットが夜空に向かって「私のロミオをよこして。私が死んだら、ロミオをあげる。ばらばらにして、小さな星にするといい」とお願いをするシーンがありますが、星は死んだ人間の魂なんですよね。だから小川さんは劇場を取り囲む人たちの魂を描かれたのだろうとまず読みました。

小川 ロミオとジュリエットが彼らの望んだとおりに生きられなかったように、人生を完璧に予測することはできない。未来は不確かだから、劇場が売っているのは「未来のチケット」なのでしょう。

河合 「一枚の未来を手にする」の薬剤師のように、チケットを手に入れてももしかしたらその芝居を観られないかもしれない。

小川 ええ。だからこそ面白いのだと思います。AIと人間の違いはそこにあるのではないでしょうか。いくらAIがシミュレーションして未来予測をしたところで、思いもよらないことが起き、想像していない結末になってしまうこともある。河合さんはTo be, or not to be(あれかこれか)がシェイクスピアの悲劇の世界なら、To be and not to be(あれでもあり、これでもある)は喜劇の世界だと書かれていましたが、予測できない人生だからこそ喜劇にも悲劇にもなるんだということをシェイクスピアは私たちに教えてくれたのだと思います。
 考えてみれば『ロミオとジュリエット』は五日間のできごとを描いた作品なんですよね。時間を巧みに操作するのもシェイクスピアのすごいところです。観客は舞台上の物語に惹き込まれ、自分たちもロミオとジュリエットの間に流れる時間に一緒に参加した気になれます。好きな人といるとあっという間に時間が経つという幸福に二人と一緒に酔いしれたくて、みんな高い切符代を払うんです。

河合 現実的な秩序のなかで刻まれるリアルな時間をクロノスと言い、心のなかに流れる時間をカイロスと言いますが、シェイクスピアはそのギャップをうまく使っています。「内緒の少年」で少年が時空を飛ぶのを見て、読者は同じような時間の錯覚を味わうと思いますよ。まるでシェイクスピア的だと思いました。
 少年は再び登場して、新しい劇場のチケットを手にしますが、私はあの場面を読みながらC・S・ルイスを思い出しました。彼の『ナルニア国物語』は最後に真のナルニアであるアスランの国へ行きますけど、キリストの国、つまり天国なんですよね。天国では過去にあったものごとが常に起きている。死んだはずのお父さんやお母さんにも会える。現実的な時間の感覚はやはりなくなっているわけです。

小川 だから時が過ぎ去っても、過去のできごとにはならない。

河合 少年時代の菊田一夫もその世界にいるのではないかな、と。そこにあるのは常に“今”という感覚だけなんですよね。

「帝劇」は果てしなく奥が深い

河合 しかし、私も数えきれないほど帝劇には通っていますが、『劇場という名の星座』を読み、また今日のお話を聞いて、改めて知らないことばかりだったのだなと思いました。小説に登場する一つひとつのディテールが現実のものなんですね。「こちらへ、お座り下さい」には座った人に幸せが訪れる幸運の椅子が出てきますが、あれも実際にあるのですか?

小川 初代の帝国劇場にあったそうです。その椅子は有名だったようで、映画にもなったと東宝が出している『帝劇の五十年』に書かれていました。今もまだ幸運の椅子は劇場にあるのではないかと考えてあの短編を書きました。もしかしたら河合さんもお座りになったことがあるかもしれませんね。

河合 なるほど。いや、その椅子の存在も知りませんでした。小川さんが小説に書いてくださったから知ることのできたものばかりですね。

小川 劇場は果てしないほど奥が深いんです。取材のために何度も訪れたのですが、一日として何も成果がなかった日はなくて。帰り道は毎回、同行してくれた編集者さんと一緒に今日もすごかったねと言いながら、日比谷通りを興奮気味に歩いていました。朝、劇場に入っていろいろ見たり聞いたりして劇場をあとにすると、すでに日が沈んでいる。まさしく、劇場のなかでは時間の流れが止まったようにいつも感じられましたね。

河合 最後の「劇場は待っている」には「パラソル小母さん」というロビーでパラソルをさしているユニークな人物が出てきますが、彼女は『掌に眠る舞台』に登場した、プログラムにサインをしてもらうためだけに劇場の楽屋口に通う花柄さんを彷彿とさせました。「パラソル小母さん」にもモデルはいるのでしょうか?

小川 はい、劇場でグッズを売っている係の人に伺いました。昔、大きな声で喋っていたら、あるお客さんに帝劇でそんなお下品なお声を出すのはよしなさいと叱られました、と。マナーが今よりも厳しかったんでしょう。取材をしていると、そんなファンもいるのかと驚かされることが多々ありました。ほかにも、自分の好きな俳優さんが九階のお稽古場で稽古中なのを知っていて、近くにいることを少しでも感じるために、帝劇の外からずっと九階を見上げているファンの話とか。役者だけではなく、一人ひとりの観客に物語があるのだなと取材のたびに感じました。

河合 そういうファンの存在は芝居を観たり、取材したりしているだけではわかりませんね。

小川 しかし漏れ伝わってくるんです。帝劇の精密なミニチュアを作っている方もいらっしゃるようです。インスタグラムで見かけました。

河合 いやはや、驚かされますね。

小川 先ほど狂言のお話がありましたけど、お芝居は演じる側だけでなく、観ている側もどこか狂うことなのだと思います。そういうファン心理は、作家の想像を遥かに超えたものなんです。
 あと、支配人さんから聞いたのは、チケット代を騙し取られてしまった女の子の話です。二人組の中学生くらいの少女だったそうですが、チケット代をネットで払ったのに手元に届かなくて、劇場の前で泣いていたんだとか。それを知った支配人さんが、関係者だけが入れるお部屋に入れて、一幕だけ観させてあげたとおっしゃっていました。

河合 「一枚の未来を手にする」に大好きな俳優さんが出る舞台のチケットが手に入らなかったけど、どうしても諦められず、田舎から帝劇にやってきた少女が描かれていますよね。劇場の前の植え込みでおにぎりを食べたり、疲れてしゃがんだりしていると、支配人のような男性が声をかけてくれて、売店に案内してくれる。

小川 はい、あの少女がおにぎりを食べている植え込みも現地で調査しました(笑)。実際に食べられるスペースがあるのかどうか。

河合 なるほど、それさえも現実だったんですね。

小川 今回の小説は劇場で見聞きした現実をもとにしているのですが、そのリアリティを足場にできたから自由に書けたのだなと感じています。とても楽しい仕事でした。自分が好きな舞台芸術にこんなに深く関われて、すごく幸福です。

河合 私も自分の知らない帝劇を知ることができてよかったです。今日伺ったお話は『劇場という名の星座』の注釈になりますね。家に帰って、もう一度丁寧に読み直そうと思いました。

(2026.3.3 神保町にて)

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「死者に出会える場所で」小川洋子×河合祥一郎『劇場という名の星座』刊行記念対談_5

特集・帝国劇場 小川洋子 著「劇場という名の星座」出版記念

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