戯曲翻訳の難しさ
小川 河合さんはシェイクスピアの翻訳も手がけられていますけれど、それがどのような経験なのか私には想像もできません。英語のアクセントもあるし、韻もたくさん踏んでいる。独特のリズムもある。そうやって書かれた原文を日本語にするのはさぞかし難しいことだと思います。
河合 ほとんど不可能な作業なんです。
小川 不可能だと知りつつ挑戦されているわけですね。
河合 芝居と同じですよ。役者の方々が難しい舞台に臨んだあとのように、奇跡が起こってよかったといつも胸を撫で下ろしています。
小川 劇場に神棚やお稲荷さんがあるのはそういう困難に挑まなきゃいけないからなのでしょうね。稽古で限界まで練習し、あとは祈るのみ、というぎりぎりの挑戦を繰り返すのは、観客の想像を超える大変さがあるのだと思います。
河合 翻訳も同じですね。神棚に祈るわけではありませんが、これは絶対に無理だと感じながら挑んでいます。特に戯曲は原文の音やリズムと合わせなきゃいけませんからね。たとえば、私の翻訳ではありませんが、先ほどから名前の出ている「彼を帰して」(原題:Bring Him Home)の原文は、一行目から四行目がGod on high/ Hear my prayer/In my need/You have always been thereとなっています。日本語では「神よ わが主よ 祈りを聞かせ給え」と訳されていると思います。
一行目はGod on highという三語、三音から始まる。ふつうに訳せば「高いところにいる神よ」となり、字余りになってしまうでしょう。しかし、「高いところにいる」は天を見上げる身振りで表せばいいので、日本語訳では「神よ」という三音だけで訳しています。うまい訳だと思います。
小川 「神よー」の語尾で高さを表現するわけですか。
河合 そうですね。歌は身振りがありますから、それを考えて訳す必要があります。また、二行目から四行目は直訳すると「私が必要とするときにあなたはずっとそこにいてくれたから、この祈りも聞いてください」です。原文は十二音なんですが、日本語では、「わが主よ 祈りを聞かせ給え」という訳で音をぜんぶ使い切ってしまうんですよね。だからIn my need以下をカットするしかない。
小川 全てを訳していると音と合わなくなってしまうから省略するわけですか。
河合 音楽に合わせて翻訳する場合によく起きる問題です。有名な例では「大きな古時計」。原文の英語を見ると、リズムに乗せるためにいろんな情報がカットされていることがわかります。原文には「古時計はおじいさんの背丈よりも一・五倍ほどあった」とか、「でも重さはちっとも違わなかった」とか、もっと細かく書き込まれているんですよ。
小川 なるほど。リズムに合わせて翻訳するのは難しいですね。英語には韻もありますし。
河合 ええ。「彼を帰して」では二行目のprayerと四行目のthereが同じライムになっています。韻を無理に訳そうとするとダジャレっぽくなってしまうんですよね。それはシェイクスピアの場合も同じです。だから私も無理だと思いながらやるしかない。
特に『夏の夜の夢』や『十二夜』には、それまで続いていたライムが突然外れることでモードが変わるシーンがあるんです。韻が踏まれている間はふつうの芝居っぽく展開していたのに、なくなった途端に調子が変わるような箇所が。それを日本語の読者にも伝えるためにはちゃんとそこまでのライムも訳さなければなりません。戯曲翻訳はとても大変です。一般的な翻訳の何倍も時間がかかりますね。
1960年福井県生まれ。東京大学文学部卒。東京大学、ケンブリッジ大学より博士号取得。2026年3月末日まで東京大学教養学部・大学院総合文化研究科教授をつとめた。2001年、『ハムレットは太っていた!』でサントリー学芸賞を受賞。主著に『謎解き『ハムレット』 名作のあかし』、『あらすじで読むシェイクスピア全作品』『シェイクスピア 人生劇場の達人』ほか、訳書に角川文庫の「河合祥一郎のシェイクスピア新訳シリーズ」など。2026年11月調布市せんがわ劇場にて訳・演出の『ファヴァシャムのアーデン殺人事件』を上演予定。
シェイクスピアの時代の劇場
小川 シェイクスピアはアドリブも禁止していたそうですね。あの時代はみんなそうだったのでしょうか?
河合 いえ、そういうわけではなく、単にシェイクスピアが禁じていただけです。ただし、お抱え道化役者のウィリアム・ケンプがしょっちゅう勝手にアドリブをしていたようで困っていました。よっぽど腹にすえかねたのか、シェイクスピアはハムレットに「道化を演じる者には、決められた台詞以外は喋らせるな」と言わせています(笑)。結局、ウィリアム・ケンプは劇団から抜けましたね。
小川 座長との相性の良し悪しはあるでしょうね、どんな役者さんも。
河合 あるでしょうね。特に喜劇役者はお客さんを笑わせる芝居をするわけですから。お客さんの顔が見えるとどうしても笑わせたくなるのでしょう。
小川 取材のなかで、照明は非常に重要な仕事だと聞きました。照明が当たったときに衣装がどういう色に映るか、場面ごとに何に当てないようにするべきかを考えながら、細かくライトを調整しなくてはならないようです。四百年前のシェイクスピアの時代では、照明というとろうそくでしたか?
河合 ろうそくと太陽光ですね。ロンドンにシェイクスピアの劇場だったグローブ座が再建されていますが、天井がないんですよ。夏のイギリスは夜の九時くらいまで明るいので、芝居は太陽光で行われていました。ただ、一六〇八年にシェイクスピアの劇団が使い始めたブラックフライアーズという劇場は天井があったのでろうそくが使われました。
小川 屋根があったことが斬新だったわけですか?
河合 そうですね。灯りを消してカーテンを閉め切ってしまえば暗闇が作れるという点で斬新でした。違うのは照明だけでなく、音響もです。グローブ座では太鼓とラッパのような吹奏楽で音楽を作っていたんですが、ブラックフライアーズ劇場では室内楽の演奏に代わりました。雰囲気がガラッと変わりますよね。
小川 やはり劇場空間は面白いですね。同じ芝居でもどこで観たかによって大きく印象が異なります。最近観た『ハムレット』は京都の先斗町にある歌舞練場でした。ふだんは芸妓さんが踊りを披露したりする劇場です。舞台も狭く、セットらしいセットはほぼありませんでした。すみっこを紗のようなカーテンで囲い、そこにリュートなど古楽器を弾く人が三人ほど並んでいました。
河合 素敵な雰囲気ですね。
小川 小道具も小さいテーブルに毒入りのお酒の瓶が置かれているくらいで。おそらくシェイクスピアの時代により近づけようという企みだったのかもしれません。














