江國香織(左)、井戸川射子(右)
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外の世界の話を聞かせて
著者:江國 香織
定価:1,980円(10%税込)

外の世界の話を聞かせて
著者:江國 香織
定価:1,980円(10%税込)

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「こんなふうに書いていいんだ」

――井戸川射子さんは、江國作品をずっと読まれているとのことですが、最初の出会いはいつだったのでしょうか。

井戸川 高校生の時、『ホリー・ガーデン』(新潮文庫)が最初の一冊でした。登場人物の果歩に憧れ、静枝に憧れ……。それから『流しのしたの骨』(新潮文庫)や『落下する夕方』(角川文庫)などを続けて読みました。
 実はそれまで文章を書くことはそんなに好きではなくて、授業などで仕方なく書いていた感じでした。江國さんの文章を読んで、「えっ、こんなふうに書いていいんだ」と驚いたんです。点と丸の打ち方、言葉の並べ方の独自性に。普通を目指して書かなくても、伝わるんだと。そこから江國さんの真似をするように書き始めたら、文章が上手くなって、授業でも褒められるようになりました。
江國 嬉しいけれど、意外です。私より文章が自在ですから。今回はじめて作品を拝読したんですが、中毒みたいに止まらなくなってしまいました。
 井戸川さんの小説は、文章の美しさと自由さが印象的でしたね。子どもの描き方が光っていて、子どもの大人っぽさといえるようなものがよく捉えられているなと思いました。
 身体性も伝わる文章です。『無形』(講談社)には、カンという今にも死にそうなおじいさんが出てきます。団地のみんなで餅つきをする場面で、小さく切られた餅を出されたカンは、「そんなに小さいんじゃ、米粒に戻っちゃうみたいじゃねえか」と言うんです。そのあと「昔は熱いまま躍るように食べたがとカンは思う、熱いものを熱いうちに、思いのままに」と続く。井戸川さんはまだ年齢的にも死から遠いはずなのに、今にも死にそうなおじいさんをよく書けるなと思いました。そういう身体性も面白い。
井戸川 カンは理想のおじいさんとして書きました。
江國 それからセリフも面白い。例えば女学生や高校生が喋っているところは、誰が何を言っているのかわからないくらい入り混じっていて、行も変わらずにカギカッコで続いていく。
 自分の中学生や高校生の頃を思い出しましたね。四、五人で喋ってたら、自分たちでも誰がそれを言ったのか、あとになるとわからない。でもみんな転がるようにファストフード店に入って、転がるように喋っていた。みんな一口もらったりもするから、誰が何を注文したかもわからない。井戸川さんの小説は、それを説明せずに感じさせる。
井戸川 最近は、どのセリフをどの人が言ってもいいんだなと思っています。『無形』を書いたときも、これはカンが言ったって、リユリが言ったっていいなと。
 文章内での人物の性格は、その人が何を言い、何をするかだけでつくられていくと強く思います。あらかじめこの人はこういう性格だと決めずに進んでいくので、書きながら、「あ、こういうこともする人なんだ」となりますね。
 小説を書いている時に、頭の中に映像が浮かぶという方もいると思いますが、私は人物の顔は全然浮かんでなくて……だからカンがどんな顔をしているか、知りません。どちらかといえば文字が、声となって浮かびます。
江國 声か、それは面白いですね。
井戸川 映像じゃなく、書いた部分の声が、浮かんでくる感じです。
江國 私も顔はつくらないと浮かばないな。髪も、長いとか短いとか決めない限り浮かびはしないですね。声も、浮かばないかな。
井戸川 何でも書かないとわからないタイプで。『この世の喜びよ』(講談社文庫)のような二人称小説も、「なぜ二人称で書いたんですか?」と問われても、「きっかけは、書いてみたかったから」としか答えられない。書いてみてから、自分のカウンセリングになったことに気づいたり、「あなた」と読者の距離が面白いなと思ったり。
江國 でもそれでいきなり二人称、『この世の喜びよ』はすごかったな。ショッピングモールのゲームセンターで働いている人が鍵束をいっぱい持っているでしょう。それって、読まない限り絶対思い出せないんですよ。私はあまりショッピングモールに行ったことはないんですが、あれを読むと、知ってる、私も見た、と思う。井戸川さんの小説にはそういうディテールが多いです。
井戸川 嬉しいです。ショッピングモールを訪れて、じっと観察していました。
江國 さっき「書かないとわからない」とおっしゃいましたが、書かなければ消えてしまうような、留めておけないディテールというものがありますよね。井戸川さんの小説の中には、それがいっぱい出てくるから、読んでいてとても幸福でした。

――江國さんの作品にも豊かなディテールがたくさん出てきますよね。

江國 好きなんでしょうね。できるだけ説明をしたくないと思っているので、ディテールで見せるしかない。その人が朝、パンを食べる人なのか、コーヒーだけなのか、ご飯と味噌汁が欲しい人なのか。車を運転するのか。どんな服を着ているのか。お餅が好きか。私立の小学校に通っていたかとか。
 短編、中編では書きながら決めますが、長編のときは登場人物の特徴を一覧表にしています。例えば、身長や体重。どちらの背が高いかで、視線も変わるし、抱擁の仕方も変わるので。小説には直接書かないけど、決めていることも多いですね。できるだけ具体的なもので、登場人物を見せたいなと思っています。

「留めておけない世界の細部について」江國香織×井戸川射子『外の世界の話を聞かせて』刊行記念対談_3

ピンクの家は本当にあったんです

井戸川 今日はお聞きしたいことがたくさんあって、質問ノートをつくってきたんです。まず江國さんの最新作『外の世界の話を聞かせて』では、「外」と「内」が書いている時の関心事なのでしょうか。
江國 関心事。そうですね。
井戸川 あやめは私設図書館の南天文庫を運営していて、そこに通う高校生の陽日に「外の話をして」とときどきお願いしています。
 一方で、あやめが幼い頃に過ごしていた「ピンクの家」が、陽日にとっては「外」の世界の話でもあります。特にピンクの家は元々公民館だった建物で、三組の夫婦と五人の子どもたちが不法に共同生活をおくっているという変わった設定です。これはどのように着想されたんでしょうか。
江國 どこからだろう。順番ははっきり思い出せませんが、昔、私も私設図書館に通っていました。南天文庫のように、夜は大人向けのセミナー、昼間は子どもたちに本を貸す場所でした。当時は大人向けのセミナーに通っていたのですが、その場所のことはいつか書いてみたいと思っていたんです。
 でも今回はピンクの家の方からの着想でしたね。元々トーベ・ヤンソンの『ムーミン』が好きで、ムーミン谷のような場所を書きたくて。ピンクの家の人々の自由さ、身勝手さ……ルールをルールと思っていないところ、ルールは自分たちが決めればいいと考えているところをムーミン谷の住人たちに重ねています。
 ちなみに、ピンクの家は三重県に本当にあったんですよ。
井戸川 本当にピンクだったんですか?
江國 そうなんです。かなり薄汚れたピンクなんですけど。地元の人にこれはなんですか? と聞いたら、元公民館なんですよと教えてもらいました。実際見たのは何人も暮らせるような建物ではなかったんですが、こんなところに住んだら楽しそうだなと思いましたね。
井戸川 現在ではすでに亡くなっている、あやめの母、輝子がピンクの家のことを現在形で語る、一九七〇年代のパートが面白かったです。江國さんの書かれる小説では、珍しいですよね。
江國 珍しいと思います。そのパートは、連載のあと本にするにあたって書き足したんです。
井戸川 それによって、物語が重層的になっていると思いました。あやめも真実子(まみこ)(いさお)も、かつては子どもだったことが確かなこととして立ち現れるなと。
江國 最初はタイトルの「話を聞かせて」の通り、ピンクの家のことはすべて過去の話として、会話のなかで描く形にしようかなと思っていました。でもそれだとライブ感が足りないと思って、ピンクの家に住んでいた輝子の視点のお話を入れました。
井戸川 特に輝子のパートでは、「戦後」や「学生運動」といった、これまで江國さんの小説ではあまり見なかった言葉が出てきます。
江國 小学生くらいの頃って、戦争は歴史だと思っていたんです。戦争って昔あったらしいねって。
井戸川 江國さんのご両親は、戦争を経験したという世代でしょうか。
江國 そうですね。うちの母は第二次世界大戦中に工場で働いていました。私が生まれたのが一九六四年で、終戦からだいたい二十年しか経っていない。母からすると、「ついこの間」だったんじゃないかと思います。だって今の私は、二十年前を「ついこの間」と思っていますから。二十年前と今とほとんど同じ暮らしをしていて、しょっちゅう行くバーに二十年前も毎晩のように通っていた。その後の学生運動や、日本赤軍については、もちろんニュースで見て知っていましたが、自分とは関係ない人たち、変わった人たちだなぁと子どもの頃は思ってきました。でもそれらは全部、今につながっているのだと大人になって感じますね。