劇場という空間の豊かさ
小川 河合さんがご著書のなかでシェイクスピアの演劇は狂言に近いと書かれていました。狂言では、いつの時代のどういう景色かがわからないまま、役者が出てきて「このあたりの者でござる」というところから始まる。昔話の「むかしむかしあるところに」と同じ始まり方ですね。
河合 確かにそうですね。狂言では言葉を語っていくうちに風景が見えてきます。これから都に行こうと言って登場した役者が、舞台をぐるりとまわって「いや、なにかと言ううちに都じゃ」と告げると、観客は都に着いたことがわかる。舞台装置を入れ替えないから、言葉だけで想像力をかき立てる必要があるわけです。
小川 観客の想像力に委ねる部分が多いからこそ、一人ひとりのなかに違う舞台が生まれ、劇場に豊饒な時間が流れるんでしょうね。
河合 そのとおりですね。それぞれのなかにそれぞれの世界が生まれる。その広がり方こそまさしく演劇の本質なのだと思います。
小川 しかもシェイクスピアの劇場は幕もなく、能のように張り出し舞台だった、と河合さんは書かれていました。多くの観客はその舞台を、平べったい土間に立ちながら観ていたようですね。
河合 きっとイギリス人の国民性もあると思います。彼らってパブでも椅子に座らずに立って飲んだり喋ったりしているんですよ。日本人は桜を見るときでもとにかく座ろうとしますが。
小川 なるほど。立っていると余計にほかの人と接触するから、一体感が増すような気もします。
河合 ええ。だから劇場では人々のソーシャリティが垣間見えるんだと思います。
小川 そこにはある種の緊張感もあったのでしょう。帝劇の椅子も狭すぎず、広すぎず、緊張感が保てる絶妙な広さにしていると聞きました。想像力を巡らせることはリラックスし過ぎるとできないから、と。
シェイクスピアのグローブ座は入場料金も安かったみたいですね。パン一斤と同じ一ペニーだったとか。今のチケット代を考えるとかなりお得な値段だと思います。
河合 当時はほかにエンターテイメントがありませんでしたから。教会に行ってお話を聞くか、芝居を観るか、どちらかしかない。ただし安かったのは立ち見席だけで、ベンチ席や二階、三階に行くとどんどん高くなります。貴族たちは三階で観ていたようです。
小川 階層社会が劇場にもあったわけですか。高貴な人が秘密の階段を上がり、こっそり愛人なんかを連れてボックス席に座って観ていたのかなと想像できますね。
河合 裏階段があって、庶民と接触せずに三階に上がることができたと言います。当時は水環境が悪くて、洗濯が満足にできなかったから、人の匂いはきつかったようです。
小川 今回、小説にコロナのことは少し取り入れましたが、劇場にとって感染症は泣き所ですね。シェイクスピアの時代もペストが流行るとすぐに劇場を閉鎖していたそうですけど、当時の衛生状態を考えると簡単にウイルスが広まってしまうのでしょう。
河合 劇場が閉鎖されると地方で巡業しなきゃいけませんでした。当時は補償もありませんから、食うためには芝居を続けなきゃいけなかったんですね。
シェイクスピア劇の本質
小川 しかしシェイクスピアはすごいですね。ご著書を読むと、実務能力も高く、役者としても食べていけるだけの能力があって、なんと不動産投資までしていた。七年間放っておいたとはいえ、生涯で結婚したのはアン・ハサウェイという女性ひとりだけだったわけですから、家族をまとめる力もあったのではないでしょうか。そういう人間としての総合的な力があったからこそ、喜劇も悲劇も書けたのでしょう。作品にも人種差別や権力争い、フェミニズム的な問題や宗教のことなど、現代にも通じるテーマをいくつも盛り込んでいます。繰り返し上演されているのはそれゆえなんでしょうね。
河合 ある意味では私たちが進歩していないということかもしれないですね。ただ、シェイクスピアは結論ありきで書いていたわけではなかったと思います。イメージした人たちが勝手に語り出したのでしょう。
小川 確かにシェイクスピアの作品は、そうなってしまったという終わり方が多いですね。『ハムレット』も復讐劇かなと思っていると、だんだんハムレット自身の成長物語になってくる。そして自ら復讐するのではなく、神に委ねるという域に到達します。世の中はなるようにしかならない、とハムレットが悟っていくのでしょう。「雀一羽落ちるにも神の摂理がある」というセリフがありますが、シェイクスピアはそこに到達しようと思いながら書いていたわけではないと。
河合 あらかじめ考えていたわけではなかったと思いますが、その思想は常に彼のなかにありました。『マクベス』にも「人生は歩く影法師。哀れな役者だ」というセリフがあって、演劇と人生が重ねられています。つまり、舞台が終わると何もなくなってしまう芝居と同様に、人生も終わると全てが消えてしまう。だから死を想え、今を生きよ。いわゆる「メメントモリ」ですね。当時はシェイクスピアのみならず、そういう思想を抱え持つ人はたくさんいました。
ペストが蔓延っていたため、死の気配があちこちにあったのでしょう。ハムレットが道化師ヨリックの頭蓋骨を持ちながら「哀れ、ヨリック」と言うとき、自分もいつかは死ぬだろうという思いがある。こういう考えは小川さんの好きな「彼を帰して」にも通じると思います。あの歌にも、自分は老いていなくなる、だから彼を帰してほしいという思いが込められているわけです。だから小川さんが惹かれる理由がよくわかります。














