演劇という魔法にかけられて

河合 小川さんは舞台をどれくらいご覧になられていますか?

小川 そう、回数は多くありません。一ヶ月に一回から二回、といったところでしょうか。ただ、『レ・ミゼラブル』はかなり観ています。たとえば一度上演が始まると、その年には東京で五回、大阪で五回、さらには名古屋に出張して観ます。でも『レ・ミゼラブル』は何度観てもその都度、新しい味わいを感じますね。初めて観たときは死んでいく革命家たちに視線が行き、若い役者さんばかりを見ていたのですが、この歳になるとジャン・バルジャンが「彼を帰して」を歌う場面に見入ってしまいます。私も孫がいますから、他人事には思えないというか。若い人たちに私の命をあげて、無事に家に帰してくださいというあの歌の意味合いが、身に染みてわかるようになりました。

河合 小川さんは特に福井晶一さんの歌がお好きなようですね。

小川 ええ、私は自分の葬式では福井さんの「彼を帰して」を流してくれと家族に頼んでいます(笑)。

河合 じゃあ福井さんが『レ・ミゼラブル』に出演なさるときは必ず駆けつけるわけですね。

小川 福井さんのジャン・バルジャンは何度見たかわからないくらいです。見るたびに今回が一番良かったと思うのですが、それがファン心理なのかもしれませんね。今日はちょっと調子が悪かったのかなと思ったことは一度もありません。幕が上がりカーテンコールになれば、いつも福井さんに最上級の拍手を惜しみなく捧げます。同時にラスト、神に迎え入れてもらえなかった、自殺したジャベールにも、私は心のなかにあなたをちゃんと迎え入れていますよという違う種類の拍手を送ります。

河合 福井さんの作品はほかにもご覧になられますか? 今年の一月から『PRETTY WOMAN The Musical』がかかっていますが。

小川 『PRETTY WOMAN』は明後日行きます。河合さんも相当観られていますよね。先ほど河合さんの観劇記録を見せてもらいましたが、なかなかチケットが取れない、貴重な公演がいくつもありました。『千と千尋の神隠し』も観られましたか?

河合 観ました。

小川 すごくシンプルでアナログな技術を使っていることに驚きますよね。プロジェクションマッピングのようなものではなく。

河合 釜爺の手足を複数人で動かしていましたね。

小川 竜に乗っているハクも、人間が支えているわけでしょう。

河合 ええ、実にアナログですが、それこそが演劇なのだと私は思っています。

小川 高度な技術を駆使したからといって、舞台上の現実が本物になるわけではありません。偽物をいかに本物のように錯覚させるかが演劇なのでしょうね。

河合 そうそう、魔法をかけるんですね。

小川 菊田一夫も『風と共に去りぬ』では、円谷プロによる燃えるアトランタの特撮映像を背景に流し、舞台上に本物の馬を置き、そこから逃げる場面の演出をしましたが、実際に馬が走ったわけではありません。馬はその場でただ足踏みをしていただけで。やはりそこには偽りのものを使って本物のように見せかけるという魔法があったんですね。

詩と演劇の言葉をめぐって

河合 演劇は一度魅了されてしまうとずっと観続けたくなってしまうという意味でも魔法ですね。小川さんが最初に観られたミュージカルは『ジャージー・ボーイズ』でしたよね?

小川 そうです。『ジャージー・ボーイズ』でミュージカルの魔法にかけられてしまいまして。ミュージカルはなぜ突然歌い出すのかわからないという声をよく聞きますけど、それも一種の魔法なんだとそのとき身をもって知りました。歌と言っても、ミュージカルの場合、のど自慢大会のように歌っているわけではありません。本来聞こえないはずの内面の声を歌で表現しているわけですね。

河合 私はそういうところが小説と同じなのかなと思います。心の声をいかに表現するかがミュージカルでも小説でも重要になるわけですね。

小川 そうですね。でも、生身の人間が発する声と文字では熱量に差がありますから。唾が飛ぶ。汗が光る。何より役者さんには空気を動かす力があります。文字だけでそれをやれと言われたら大変です。百ページ使っても役者が表現する一瞬にかなわないなと思うことがあります。

河合 しかし書き言葉にもまた別の力があると思います。シェイクスピアの『ハムレット』にはWords, words, words.という一節がありますが、やはり言葉があるからシェイクスピアは現在にまで残っているわけですし。その言葉を頼りに新しい世代がそれぞれのシェイクスピアをやるわけで、そういう意味でも言葉は原点なのかなと。

小川 なるほど、それもそうですね。河合さんのご著書『シェイクスピア 人生劇場の達人』を拝読しましたら、シェイクスピアは徳川家康と同時代の人だと。そう考えると四百年以上もの間、繰り返し上演されていることになるわけですね。シェイクスピアが生き残っている理由は確かに言葉にあると私も思うのですが、決して日常的な言葉じゃありませんね。どちらかというと詩に近いでしょう。
「シェイクスピアは、劇作家である前に詩人であった。仮に四〇作に及ぶ戯曲を書かなくても、シェイクスピアは詩人として英文学史上に名前をとどめただろうと言われている」と書かれていましたが、彼の書くセリフは全て詩の言葉なんですよね。シェイクスピアの詩はミュージカルにおける歌に通じるような気がします。詩はもともと吟遊詩人が語ることによって伝わっていったものですから、人間の声と密接に関係するものだと思います。だから演劇と詩は強く結びついて離れがたいわけで、それをよくわかった上で戯曲を作っていたのがシェイクスピアだったんですね。