伯父は芥川賞受賞のベストセラー作家
──火野葦平は戦前、『糞尿譚』で芥川賞を受賞した後、従軍小説の『麦と兵隊」が100万部を超えるベストセラーになった作家です。戦後も旺盛に執筆活動をされて、代表作に『花と龍』がありますが、この作品は玉井金五郎とその妻・マンをそのまま主人公に据えた実録小説ですね。
拙著のタイトル『炎と水』は、中村さんが敬愛していた火野葦平の『花と龍』へのオマージュです。「龍」は、背中に「昇り龍」の刺青を入れて荒くれ者を率いた金五郎の侠気や力強さ、「花」は妻・マンの優しさ、気高さを象徴しています。マンは暴力的な世界に身を置く金五郎を支えました。葦平は、夫婦(両親)が調和し、子分を率い、激動の時代を生き抜く姿を描いたわけです。
一方、『炎と水』の「炎」は、人間がアフガニスタンにもたらした戦火、旱魃や地球温暖化による災厄であると同時に中村さんが金五郎から受け継いだ侠気や情熱、一種の任侠です。「水」は、戦火で荒廃したアフガンの大地を潤した用水路の水、人びとの命を救うものであると同時に中村さんが祖母のマンから受け継いだ慈しみや、優しさですね。中村さんは、幼いころ、マンから「弱者をかばえ」「職業に貴賤はない」「生きものの命を尊びなさい」と教え聞かされた。それが自分の倫理観の根幹になったと、後に語っています。
──火野葦平の活躍ぶりをリアルタイムで知らない方も多いと思いますが、あらためて調べると戦前・戦中・戦後それぞれに作家として一世を風靡し、膨大な量の原稿を書いています。ところが、1960年に遺書を残して自ら命を絶ちました。そのことは、中村さんにどんな影響を及ぼしたのでしょうか。
哲少年が中学2年に上がる年の1月に憧れの伯父、火野葦平は自死しました。ちょうど、そのころ、いつも後を追っかけて遊んでいた「兄」が、実は養子で「従兄」だったということが判明し、兄は家出をしてしまうんです。思春期の哲少年は、非常に悩んでいたと母親の秀子さんは語り残しています。
そうした事情もあり、哲少年は、中学3年の12月にキリスト教プロテスタントのバプテスト派に入信し、浸礼(バプテスマ)を受けたようです。これは、水槽に張った水に頭の先から足先まで、全身浸かり、身を起こす儀式です。過去の自分は水中で滅び、新しくキリストとともに生きる、と。
『炎と水』の「水」には、この浸礼の水の意味も込めたのですが、葦平の死は、哲少年の再出発のターニングポイントだったと私は思います。













