「小さな男」が見せる大物感
――まず、織田さんが演じていらっしゃる宋江についてお聞かせください。
北方 織田さんの宋江は、私が書いた宋江より人格者ですよ。
織田 そうですか。
北方 私は最初、宋江をスケベに描こうと思ったんですよ。ドラマの宋江はそうじゃなかったですね。でも、それでよかった。織田さんにはスケベなことをしてほしくないから。
織田 そういうニュアンスは全然ないですね、ドラマでは。
北方 私が書いた宋江は、ちょっとスケベで俗っぽいところもあるけれど、そういう小役人を演じながら、「だけど、実は……」という感じですね。映像作品では、当然、織田裕二の宋江になる。それがよかったです。どこかユーモアもあったでしょう。
織田 台本に「いつもの小者のような不思議な歩き方で行く」って書いてあったんですよ。若松(節朗)監督に「どうしましょうか」って相談しながら、跳ねているような変わった歩き方で歩いてみたんですけど、結局あんまり使っていないですね。
北方 脚本の(藤沢)文翁さんが変なことを考えたんじゃないですか。面白い人ですから。
織田 そういう歩き方を実際にやれっていう意味じゃないのかもしれないですね。宋江はこういう人物ですよ、というメッセージだったのかも。要は、小さな男に見せてくださいってことだったんでしょう。特別なヒーロー感はいらない。どこにでもいそうな人ですよと。ひょうきんとまではいかなくても、どちらかというとそれに近い、小さな男に見せてくださいねっていうことだったのかなと。
北方 小さい感じはよく出ていたと思いますよ。だからこそ、ちらっちらっと大物感が垣間見えるところがすごいんです。晁蓋(反町隆史さん)と並んだ場面なんかは、下手すると晁蓋を圧倒するような存在感があった。だから逆に、あの小役人のような姿が生きてくる。年下の上司にやり込められたり、饅頭を口に突っ込まれたりね。
織田 僕もまさかあんなシーンになるとは思ってなかったから、現場に行ってびっくりしました。「え?」って。ああ、監督はこういうふうに作りたいんだなと思いましたね。
北方 いろいろ作りたいんだと思うよ。この顔を撮りたかったんだ、っていうのがある人でしょう、あの監督は。
織田 若松監督は何しろ人が好きで、芝居が大好きな人なんです。普通は監督って、自分の演出プランがあって、カット割りがこうで、こういう絵を撮りたいっていうのが頭にあるものなんですよ。だから、現場ではここからここまでこういうふうに動いてくれって、決めてくる人が多いんです。でも若松さんはそういう枠のはめ方をしませんね。人が生き生きしている瞬間が映っていればいいという考え方なんです。
――若松監督と織田さんはおつきあいが長いですよね。
織田 『振り返れば奴がいる』で出会って、翌年『お金がない!』をやって、それから『ホワイトアウト』。監督いわく「織田とやるのは四年に一遍でいい。疲れるから」(笑)。だけど、こちらも同じぐらいエネルギーを引き出されるんです。芝居をちゃんと撮ってくれるし、面白がってくれるから、やる気のある役者にとっては楽しい現場だと思いますね。
北方 私は役者さんと監督さんの関係性というのはわからないけれど、撮影現場にお邪魔して若松監督が撮る絵を見ていると、「人がいて、そのうえで画面がある」という感じがしたんです。モニターを見ても、やはり構図がしっかりしている。人の存在感が一番出るような構図で撮っていますよ。素人目ですけどね。
織田 芝居を見てからカット割りを変えることもあるんですよ。カットを割る予定だったけど、やめてワンカットでいこう、とか。そのときの役者の一番いい芝居を撮る。そういう監督はなかなかいないですね。僕たち役者はナマモノだから、いろんなカットを撮るために、何度も何度も同じことを繰り返すと疲れちゃうんです。100メートル走を何本もやるようなもので、こっちも一回一回勝負していますからね。
北方 そんなに大変なものなんですね、やっぱり。
織田 一人ならいいんです。でも、芝居ってたいていは二人以上でやりますから、三人、四人って増えれば増えるほど息を合わせるのが難しくなります。誰か一人が息をする瞬間を間違えただけで、同じ芝居は生まれないんですよ。だから僕は奇跡だと思っているんです、面白い芝居が撮れるってことは。いやあ、よかった、今日はいい奇跡に出会えた、いいシーンが撮れたねってときは無性に嬉しくなりますね。















