「わからない」と「わかってしまった」

――お二人とも詩と小説、両方を書かれていますが、どういう風に書き分けていらっしゃいますか。

江國 ひとつの素材があったとして、それを詩にするか、小説にするのか迷うことはないですね。素材は本来どちらにもなれるはずだと思っていて、そのひとつだけでは小説にならないとしても、ディテールになったり。いい素材はなんにでもなります。メモはたくさんとっていますね。
井戸川 純文学と詩は距離が非常に近いと思います。両者ともストーリーが説明され過ぎないし、長い詩もあれば短い小説もある。
江國 区別がつかない場合もありますね。散文詩もありますし。
井戸川 作者がこれは詩ですと差し出したら詩ですし、小説と言ったら小説になると、実作者としては捉えようかなと。小説も詩のように、全部自分の好きな一文で書くつもりで書いているので、違いが難しくて。詩に入れた一文が、小説の方がいいかなとふわっと移動させることもあるし、逆もあります。だから言ってしまえば、「差し出すしかない」感覚です。
 あと私は「わからない、わからない」と思いながら書くのが詩で、「わかってしまった」と思いながら書くのが小説だと今は思っていて。
江國 「わかった」じゃなくて「わかってしまった」なのね。
井戸川 「わかってしまった」ですね。自分の小説の世界のことはわかる。書いている時に、かなり先はわからないけれど、この次のことはわかってしまっている。一方で、不思議を不思議のまま差し出すのが詩だと思ったんです。
江國 かっこいい。
井戸川 わかってしまった、「ああ、そうだったんだ。この二人で木を切るんだ。そうなるよね」と。
江國 あります、あります。その時、嬉しいですよね。だって常にあるわけじゃないから。
井戸川 そうですね。道を歩いている時に偶然見たもので、はっと思い浮かぶこともあります。この道を通らなかったら、思いつかなかった。だから偶然を紙に書いているみたいなところもありますね。
江國 最初からわかって書いたらつまらないんじゃないかなぁ。わからないから知りたくて書くようなところがあるので。だからわかったって思える時は、上手くいっているんだと思う。このあいだ書いた『ブーズたち 鳥たち わたしたち』(角川春樹事務所)という小説で、女の子どうしのカップルが妊娠するんです。書きながら、ああ、そうだったんだって思えたんです。
井戸川 そう思えると、気持ちがいいです。
江國 うん。そうです。でもそんなに、しょっちゅうはないけどね。

書いておかないと消えるもの

井戸川 江國さんの小説『ちょうちんそで』(新潮文庫)も好きで。「自分の人生に、もし後悔することがあるとしたら、それはあのとき妹と疎遠になったことだと、雛子は思う」の部分で泣きそうになるんです。
 もう会わない人っているじゃないですか。仲たがいもあるし、音信不通もあるし。あの寂しさってすごいですよね。
江國 すごいです。わかります。部屋が分かれてしまう『無形』の兄弟も。あの兄弟は別に疎遠になったわけではなく、ずっと仲よしです。それでも部屋が離れるのは、それまでとは違う。二度と同じには戻れない。いくら仲よしでも二度と同じに戻れないのは切ない。
井戸川 その一瞬に、スポットライトを当てることしかできない。
江國 そうですね。そういう切なさって、言葉にしないと存在しません。人が死んじゃったとか、喧嘩して別れたとかだったら記憶に残るかもしれないけれども。そういうことって言葉にしないと残らない。
 井戸川さんの『私的応答』の「台所から母ちゃんと厚美の大笑いが聞こえて、すぐに今何で笑っとったん? と聞きに行って、まだ笑う二人から後で聞くんではそんなにおもしろくはないけど私も微笑む、そういうこともここにはもうない」のところ。
 多くの笑いって一瞬です。一瞬だから、あとから説明されても別に面白くない。でもなんで笑っているのか、知りたいし、混ざりたい。そういうのも、書いておかないと消えてしまいます。「そういうこともここにはもうない」と。
井戸川 もう一瞬後には、ここにないものですね。
江國 ないもの。大きい幸せも大事ですが、こういうささやかなことで日々はできているから、文字で見せてもらえるとぐっときちゃいます。
 昔、駒沢公園のそばに住んでいた時に、スプレーで「ずーっと仲よくしようね。ミキ、カオリ」みたいな落書きを公園で見つけて。女の子同士の名前が書いてあったんです。それを見て、泣きそうになっちゃって。その子たちのことを知らないから、どうなったのかも知りようがない。でも二人の関係性は同じではあり得ないわけで。
井戸川 でもそう落書きした瞬間は確かにあった。
江國 そう、あった。そういうことを小説にしたい。書いておかないと、物語にしないと消えてしまうこと。
井戸川 なかったことになってしまう。
江國 なかったことになりますよね。だって仮にその後も仲よしであっても、それだけでは単に仲よしの二人。そんなことを落書きしたということは、書き残さないと消えてしまうような気がする。大事なのは仲よしである点ではない。そんなことを書いてしまうような二人だったということ。面白いですよね。人間って。

(2026.2.3 神保町にて)

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