「容疑者逮捕」の一報受け、向かった先は…
状況に劇的な変化が生じたのは事件発生から約半年後、2016年3月12日のことだ。
「そのとき僕は仙台駅近くのビジネスホテルにいました。すると突然、スマホに一通のメールが届いたんです」
デマを流すマスコミに不信感を覚えていたとはいえ、当時の泰蔵は新たな情報を得るため複数の記者と連絡を取っていた。そのうちの1人から朝方5時にメールが来たのだ。そこで彼は開いたメールの文面に衝撃を受ける。
「逮捕状が請求されました、と書かれていたんです」
それが犯人の特定を意味することは言うまでもない。すでに犯人の身元は割れ、数時間を待たずして逮捕されるのが通例だ。事件発生からちょうど200日後のこと。その日に、重なるいくつもの運命を感じざるを得なかったと、泰蔵は振り返る。
「奇しくもその前日が3・11(東日本大震災)から5年目で、当日は、仙台で暮らす理沙のお母さんと飲む機会があり、そのまま駅前のホテルに帰りました。でも、本当に寝つきが悪くて、1時間おきに起きてしまう。別に疲れてもないし、何か不安なことがあったわけではない。ただ、まどろんでいるところ、そのメールが飛び込んできたんです。すぐにテレビをつけたけど、まだ速報は流れていなかった。堪らずまだ夜明け前、確認のため迷惑を承知で理沙のお母さんに電話したけど、やはり何も聞いてなくて。落ち着け、落ち着け。もうこのときは胸のドキドキが止まりませんでした」
すぐにでも東京に飛んでいきたい気持ちでいっぱいだった。当該記者に事実確認をするためだ。だが、自然とあの場所に行くとは思いもしなかったと回顧する。
「乗った始発列車の行き先が東京じゃなかったんです。足が彼女のお墓参りへ向かっていたんですよ、勝手に」
図らずも容疑者逮捕を彼女に、真っ先に報告できたんです。そのとき僕はたしか、言葉が見つからず、墓の前でたぶんこう言った、「まあ、そういうことだよ」──。泰蔵は再確認するかのように当時の記憶を喚起した。