石野卓球の“ただ者じゃなさ”は10代から際立っていた
──静岡のご出身で、中学・高校では石野卓球さんの一年後輩にあたるそうですね。椎名さんご自身も、当時は音楽活動をされていたんですか?
椎名基樹(以下同) はい、本には書いてないですが、正露丸Xというバンドですね。曲は、ベースラインが「ズンドコ節」で、ひたすらウ●コウ●コと連呼するという内容でした(笑)。
「サーカスタウン」っていう、人生(電気グルーヴの前身バンド)もよく出ていたライブハウスがあって、そこに出演したんです。すると、石野さんから呼び出されて、それがファーストコンタクトですね。
──当時からすでに、後の「石野卓球」に繋がるカリスマ性は感じていましたか。
そうですね。石野さんは10代からスゴい音楽マニアでしたし、なにより常識にとらわれていないんです。細かい話ですけど、漢字の「口(くち)」っていう字があるじゃないですか? 石野さんは書き順を無視して、単なる◯(まる)を書いて「口」とするんですよ。それと、人生のメンバーだった圭三を「K3」と表記したり。そんな小さなところも新鮮に感じました。他にもオリジナルのステッカーを機材に貼りまくっていたり。パンク~ヒップホップ的なセンスにあふれてましたね。
石野さんと、高校球児だった瀧さんを結びつけたのが、校内で有名なワルだったイトチューです。離れのような石野さんの部屋にみんなで集まって、いろんな音楽やマンガ、サブカルチャーを共有していました。
──本に書かれた学生時代のエピソードは、どれも青春っぽくてよかったです。夏休みにみんなで酒を呑んで、急性アルコール中毒になって、看護師だった瀧さんのお母さんに介抱されるくだりとか。
10代のころの石野さんのお話は、もう少し書いても良かったんですけど……ちょっと、清潔感のないエピソードが多いので(笑)。
──人生から電気グルーヴへ、さらにメジャーデビューという流れは、トントン拍子に進んだのでしょうか?
人生の後期はかなり悩んでたと思います。「イカ天に出るかどうか」みたいな話もありました。煮詰まっていた人生を解散して、電気グルーヴになってからは、勢いがありましたね。自分はその活躍をただただ「スゲエ!」と思って見てました。
当時の音楽シーンも、ちょうどその頃は大きく盛り上がってました。ヒップホップやダンスミュージックといった新しい音楽が次々に生まれていた時代で、音楽理論がなくても、デタラメなコラージュでも、カッコよければアリなんだという価値観が芽生えていったんです。













