陸自幹部学校の副校長が「軍人勅諭に学べ」と発言

布施 そうですね。私は陸上自衛隊幹部候補生学校の教育に使われているいろいろな資料を、過去に情報公開請求して入手していたんですが、それを昨日見ていたら、ビックリしました。

幹部候補生学校の副校長が忠誠心について訓話した際に使用したスライドがあって。「自衛官は、個人という一身の利害を超え、公のため、任務のため生死を賭することが求められる」として、「軍人(自衛官)にとって最も重要なものは、使命感、とりわけ忠誠心だ」と強調しているのです。そして、参考資料として、何と戦前の軍人勅諭(*2)を示していました。軍人は「ただただ一途に忠節を守り、義は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟せよ」と。

陸上自衛隊幹部候補生学校で2017年に行われた「副校長訓話」で使用されたスライド
陸上自衛隊幹部候補生学校で2017年に行われた「副校長訓話」で使用されたスライド
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先ほどの知覧研修もそうですが、天皇に忠誠を誓い、天皇のために死を恐れずに戦うことが美徳とされた旧日本軍から「軍人精神」を学ぼう、というような教育が今、陸上自衛隊の幹部を育てる学校でなされているんです。

1950年に自衛隊の前身組織である警察予備隊を作ったとき、そこでの教育で重視されたのは「個人の尊重」でした。これは戦後に作られた日本国憲法の精神でもあります。先の大戦の教訓から、旧軍のような盲目的な忠誠心を植え付けるのではなく、一人ひとりが個として自分の頭で考える教育を重視したそうです。それは、その後の自衛隊にも受け継がれ、死生観に関する精神教育はずっと行われず、個人の考えに委ねられてきました。

しかし特に近年、戦争を経験したことがない自衛官に「死ぬ覚悟をさせる」必要性が出てきたという文脈の中で、旧軍の犠牲覚悟の戦闘や軍人精神を美化するような教育が行われている。

歴史というものを「事実に基づいて冷静に見る」のではなく、「歴史を作る」というか、「自分たちが望むストーリーに当てはめて歴史を理解していく」というような形になっていくのは非常に危ないと感じます。

*2 明治天皇が明治15年(1882年)に陸海軍の軍人に下賜した勅諭。軍人精神を説き、「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所そある」と天皇の軍隊であることを強調、いざとなったら天皇のために命を投げ出すべし、としていた。

1968年の「明治百年」がひとつのターニングポイントだった

 牛島軍司令官の辞世の句を、いつ頃から自衛隊が使うようになったのかは、まだ丁寧に調べてないんですが、私の手元に、航空自衛隊の幹部候補生学校で使われていた『教程 沖縄戦史』という文書があって、1969年に出たものです。

その中に牛島司令官の辞世の電報が全文引用されて、辞世の句も紹介されています。沖縄に自衛隊が派遣されたのがその直後、1972年の沖縄復帰の年です。だからたぶん、この頃からかな、と。

「訣別電報」と呼ばれるこの電報は、沖縄が今、敵の手に落ちようとしている。それについて、上は、陛下に対し奉り、下は国民に対し申し訳ない、というんですが、まず天皇陛下が出てきて、それに対して「自分の一死をもっておわびする」という文なんです。そこにこの辞世の句もある。

つまり「沖縄を敵に取られて、陛下に対して申し訳ない、だから自分は死をもっておわびする」と。これを自衛隊が1960年代終わりぐらいから取り上げ始め、教育の中で使い始めている。それがいまだに反省もなく、自衛隊の中で肯定されてきているんです。

戦後の自衛隊の認識、1950年代、60年ぐらいまであった自衛隊のこういう反省が、どういうふうに変質していったのかを、改めてきちんと研究しないといけないと思います。何が変えさせたのかと。

航空自衛隊の幹部候補生学校で『教程 沖縄戦史』の最初の版が使われたのが69年。前年68年には明治百年記念式典を大々的に行っています。

その辺から明治以来の大日本帝国を礼賛するような風潮が高まってきた。明治百年に合わせて66年には建国記念日を作った。そこで「明治から現在まで、日本は一貫し継続しているんだ」という歴史観が非常に強烈に打ち出された。

その中で自衛隊も、旧軍との連続性をかなり意識するようになってきたんじゃないか。そして沖縄戦史を肯定的に教え始めた。数年後の72年に沖縄が日本に復帰し、沖縄に行った陸上自衛隊の隊長が牛島の辞世の句を持ち出してきた。

明治百年である68年、その前後の60年代後半が、そういう意味で日本の戦後史の中でひとつのターニングポイントではあります。これは現代史研究者からもいろいろ言われている時期で。

その一方で社会運動も盛り上がったんです。公害反対運動とか。しかし一方で「戦前から日本は一貫しているんだ」と強調する歴史観、大東亜戦争肯定論なども、その時期、明治百年に合わせて、ワッと出てくる。それを自衛隊が取り入れてしまったのではないか。