日本軍による住民虐殺

北部においても日本軍による住民虐殺はあちこちで起こった。

大宜味村では、米軍に捕まった元巡査が山に逃げてきて日本が負けていると話したところ、スパイとして殺された(大宜味・83-84頁)。

読谷から避難してきていた避難民が下山していたが(下山とは米軍支配下に入ることを意味する)スパイとして4、5人が「手首」をしばられてめった斬りにされ、一面に血が飛び散り、目を疑う地獄の惨状であったという(国頭村『くんじゃん』366頁)。

米軍に捕まって田井等収容所(現在の名護市)に入っていたが自分の集落に戻ろうとした住民4人が日本軍によって斬殺された(同前・365頁)。

米軍に保護されて自分の家に戻っていた家族の家に日本兵が手榴弾を投げ込み、女性が殺されたので、ほかの住民たちは米軍と相談して別の収容所に移動したこともあった(同前・366頁)。