南西諸島では「またこの島々が戦場になるんじゃないか」という不安の声を耳にする
布施 林先生の『沖縄戦』(集英社新書)を読んで、まさに「沖縄戦史の決定版」だと思いました。沖縄は私の取材フィールドでもあり、沖縄戦についてもある程度知っているつもりでしたが、この本を読んで初めて知ることも多く新鮮でした。
沖縄戦についてはものすごく膨大な記録があります。沖縄県全体でも各市町村でも、戦争体験者の証言を記録したものが膨大にある。本当はそれを全部読みたいのですが、現実的には難しい。
この本では、林先生が長年そういう膨大な記録を読んで、その中から重要な証言をピックアップしてくださっているので、「単にこういうことがあった」という事実だけではなく、実際にあの戦場にいた一人ひとりの人間の生の声も知ることができて、マクロの目とミクロの目の両方で、沖縄戦の全体像を把握できる。初めて沖縄戦について学ぶ人にとっても、私のように、もう一度学びなおそうという人にとっても、本当に最適の本だと思います。
近年、沖縄を含む南西地域では「防衛体制」の強化が急ピッチで進められていて、私も鹿児島県の大隈諸島から沖縄県の先島諸島にいたる島々を回って軍備強化の取材を続けてきたんですが、島の人たちから「この島が戦場になるんじゃないか」という不安の声を、特に戦争を体験した世代から耳にすることが多いんです。
そうならないように、沖縄戦の記憶を風化させず、教訓をしっかりくみ取ることが今、特に大事だと感じます。そういう意味でも、ぜひ多くの人に読んでほしい本だと思います。
沖縄戦と同じく本土の人々も犠牲にされようとしていた
林 ありがとうございます。私が沖縄戦を調べ始めたのは1986年頃からで、もう40年近くたちます。その頃から私は、日本による加害、特にアジアに対する加害という問題意識を持っていました。
沖縄の場合は、「日本という国家が沖縄に対して被害を与えた」という問題ではあるんですが、そういう観点と同時に、もうひとつの観点が必要です。
沖縄戦のときに沖縄が体験したことには、もちろん「本土による沖縄差別」という側面が当然あります。だから沖縄の方が「これは沖縄に対する差別だ」「沖縄にだけ押しつけている」という言い方をされるのは当然のことなのですが、ただ私はずっと東京にいて見ていると、「この経験は沖縄だけの話じゃない。日本本土でも同じようなことが起き得た」とわかってきたのです。当時の日本軍の本土決戦に向けての作戦を見ても、同じようなことをやろうとしていましたから。
たとえば疎開の問題を見ても、九州では疎開を放棄していました。九州沿岸に米軍が上陸することを想定し、住民を疎開させることを日本軍は検討したんですが、九州は沖縄より人口が多いので、疎開する場所がない。寝泊まりする場所も食糧もない。だから住民を戦場に放置することにした。
そこはある意味、沖縄戦と似ているんです。沖縄はほんの一部は疎開させたけれど、ほとんどの人々はそのままとどまっているわけで……。本土決戦では、それをもっと大規模にやろうとしていたのです。
ですからこの問題は、「沖縄が被害を受けた、沖縄が差別された」という問題であると同時に、「日本の本土全体、そしてそこに住んでいる人々も、犠牲にされようとしていた」問題として捉える必要がある。
私は沖縄の問題は、沖縄以外の日本人こそが認識しないといけないと思っています。
同時に、戦後の自衛隊や防衛庁、その後の防衛省が、沖縄戦をどう認識しているのかというのも、私はいろいろ資料を探して読んできましたが、すごく問題があります。その問題も後で布施さんと話したいですね。