自衛隊の中で進む日本軍の美化
布施 ただ、今、政治家だけじゃなくて、自衛隊の中でも沖縄戦における日本軍の行動を美化する動きが進んでいる、という感じがします。
琉球新報が5月15日に報じた、陸上自衛隊の幹部候補生学校が2024年度に使っていた『沖縄戦史』という学習資料で――これ、私も同じものを情報公開で入手していたのですが――
沖縄戦について、たとえば「圧倒的な空海からの支援を有する米軍に対して、第32軍は孤軍奮闘3ヵ月にわたる靭強な持久戦を遂行し、米軍を拘束するとともに多大な出血を強要して、本土決戦準備のために偉大な貢献をなしたのである」とか、沖縄戦の最後に第32軍の司令官だった牛島中将が自決したことについても、「見事な自刃を遂げられた」というような感じで、日本軍の作戦や、司令官の自決を非常に美化する表現があります。また、沖縄本島に駐留する陸上自衛隊の第15旅団のホームページに、まさに牛島中将の自決の際に詠んだ句が紹介されていたり……そういう動きが目につくようになっています。
陸上自衛隊の幹部候補生学校は、かつて特攻隊の基地があった鹿児島県の知覧にも研修に行き、「いざというときには国家のために命をかけて戦う」という「軍人精神」を学ぶ、ということもやっています。
これは、1990年代に自衛隊がPKO(国連平和維持軍としての活動)で海外の紛争地に出ていくようになって、いわゆる「戦死」の可能性が出てくる中で、「心構えをさせる」ということで、知覧研修が始まったという経緯があるのですが……。
自衛官の「戦死」のリスクが高まる中で、かつての日本軍を「大義のために犠牲を恐れず任務を遂行した」と美化する動きが非常に強まってきている、と危惧しています。
自衛隊でも当初は沖縄戦での日本軍に関して批判的な教育がなされていた
林 私は、今回の本で自衛隊については少ししか書いていませんが、自衛隊がどういうふうに沖縄戦を見てきたかということで、1950年代、1960年に出た陸上自衛隊幹部学校の資料を見ています。
戦争中の大本営の船舶参謀だった馬淵新治という人が、沖縄にも行っていたことがあって、彼が防衛庁の依頼に基づいてまとめた文書があるんですが、たとえばその中で、「日本軍が住民を威嚇、強制して壕から立ち退きを命じて、おのれの身の安全を図った」とか、「泣き叫ぶ赤子に対して、母親を強制して殺害させた」とか、「罪のない住民をスパイ視して射殺するなどの蛮行をした」「これが精鋭無比の皇軍のなれの果てかと思わせるほどの事例を残している」ということを書いています。
この馬淵氏は1950年代に援護法(※1)との間の関係で、沖縄にいろいろ調査に行って話を聞いているんです。その彼の話を叙述した文書が、自衛隊幹部学校の中できちんと作られていた。たぶん、これは自衛隊の中でも少しは読まれているんだろうと思います。
馬淵氏は沖縄戦のときに大本営の参謀で、第32軍がいたときにも沖縄に行ったことがある。彼は戦後、厚生省の事務官になって、いろいろ詳しく調査しているので、防衛庁が彼に依頼して沖縄戦について文書を書いてもらった。自衛隊の幹部学校でも1960年に彼を呼んで話を聞いています。つまりその頃までは自衛隊の中でも、日本軍を全面肯定するとか賞賛一辺倒ではなかったんです。
馬淵氏も全体としては「日本軍はよく頑張って戦った」という評価はしているんですが、日本軍にもかなり問題があったことは認識していた。自衛隊幹部学校も、そういうことを彼に講演で話してもらったり、資料として書いてもらって使っていたんです。
ところが1960年代の中頃以降、幹部学校のいろんな文書を見てみると、日本軍の問題ある行動についての記述はきれいに消されていく。60年代後半からは「日本軍がいかに勇敢に頑張ったか」「3ヵ月という長期にわたって戦い、偉大な成果を上げた」とか「戦い抜いた善戦死闘は、世界戦史に残る立派なものであった」という賞賛一色になっていく。
1960年代の中頃というのは、68年に明治百年記念式典が行われ、その2年前の66年には建国記念日が制定されているのですが、そこに向かう中で、旧日本軍の問題点に関しては全部抑えられ、あるいは削除されて、ひたすら日本軍を賛美する方向に流れていってしまった。その延長線上にずっと今まで来てきてしまっているんです。
現在の自衛隊は、本来は旧日本軍とは切れている、違う組織のはずです。日本国憲法の下で、国民、あるいは日本に住んでいる市民の生命や安全をいかに確保するのか、そのことを最も重視すべき存在です。
1960年ぐらいまでの議論では、そこを少し反省しようというのがあるんですけれども、それが60年代後半からは全然消えてしまった。極めて怖いことです。そしてこれが現在まで続いてきている。イデオロギー的な部分だけじゃなく、現在はそれがまさに実践に適用されようとしている状況だろうと思います。
*1 戦傷病者戦没者遺族等援護法。1952年制定。軍人軍属及び準軍属の公務上の傷病及び死亡等に関し障害者本人には障害年金を、死亡者の遺族には遺族年金・遺族給与金及び弔慰金を支給し援護を行った。