今の日本に「純粋に民間の飛行場や港」はなく米軍がいつでも利用できる「潜在的な米軍基地」になっている
布施 1944年10月10日のいわゆる「十・十空襲」で米軍が那覇に対して大規模な無差別攻撃をした際、当時の日本政府は中立国スペインを通じて、「諸国家間で承認されている人道の原則と国際法に対するきわめて重大な違反だ」と抗議をしたことを、この本を読んで初めて知りました。でも、日本はすでに、中国で都市に対する無差別爆撃をやっていました。
米軍は1945年3月からの沖縄戦でも、「鉄の暴風」とも称される激しい無差別攻撃を行いました。ただ、この本でも指摘しているとおり、日本側が「軍民分離」をしておらず、「民間人も根こそぎ動員して戦わせる」という方針で戦争を遂行していたので、無差別攻撃に一つの口実を与えてしまったところもある。
実は、今の日本の状況も、「軍民分離」をしていないという点で同じなんです。たとえば、今の日本には純粋な意味での民間の飛行場、港湾というのは存在しません。日米地位協定(*1)の第5条で、「日本の港湾と飛行場には米軍はいつでも出入りできる」と認めてしまっているので、日本中の港も飛行場も、まさに潜在的な米軍基地とされています。
そのことが何を意味するのか? 「戦争になったときに、攻撃されても文句は言えない」ということです。
こういう状況は「実際に戦争になったときに国民を、民間人を危険にさらすことになる」ということを、沖縄戦の教訓にも学んで、もっと我々は真剣に考えないといけないと思います。
あと、先島諸島を取材していて、住民の方から「また沖縄が『捨て石』にされるのではないか」という言葉をたびたび耳にしてきました。先の大戦では国体護持のために、本土決戦の時間稼ぎのために捨て石にされ、今度は台湾防衛のために捨て石にされるんだ、と。
南西諸島での軍備強化について、日本政府は「南西諸島の防衛のため」「中国に対する抑止力を強化するため」と説明してきましたが、いきなり中国が南西諸島を攻撃してくるわけじゃない。
「台湾有事が起きたときに、アメリカが台湾を防衛するために軍事介入する、そして自衛隊も一緒になって動く。そのときに攻撃の拠点として南西諸島の島々を使う。その結果として相手の攻撃も受ける」ということです。つまり、台湾を防衛するために南西諸島が攻撃されるのはやむを得ないと考えているのです。
しかし、南西諸島が攻撃されるリスクを引き受けてでもアメリカと一緒に中国と戦って台湾を防衛するなんてことを、そもそもどこで誰が決めたのか?
自衛のための必要最小限の武力行使しかしないという「専守防衛」の国是とどう整合するのか?
台湾海峡両岸の対立を「基本的に中国の国内問題」としてきた日本政府の立場とどう整合するのか?
国会議事録を調べてみましたが、こういうことについて議論すらまったくしていません。
南西諸島をはじめ日本が戦場になるかもしれない重大な選択なのに、国民に対する説明も国会での議論もきちんとなされないまま進んでいることに、強い違和感があります。
日本政府として本気で台湾を守ろうとしているのかというと、それも怪しいと思っています。日本政府としての主体的な判断というより、アメリカの世界戦略に追随し、アメリカの要求や期待に応えようとしているだけじゃないのか。
実際に今の自民党の政策責任者(政調会長)である小野寺五典氏は、台湾有事でアメリカから協力要請がきたら日本には断る選択肢はない、なぜなら「断ったら日米同盟が毀損してしまうから」と語っています。
でも「日米同盟を守るため、アメリカとの関係を守るために、台湾有事において南西諸島を戦場にし、捨て石にする」ということでいいのか?
こういう思考は、先の大戦のときに「国体」というものを守るために、沖縄だけじゃなく日本国民全体を捨て石にしようとしていたことに通じるのではないでしょうか。
*1 新・日米安保条約第6条に基づき、1960年に日本と米国の間で署名された在日米軍に関する地位協定。