「国を守る」とは「国体・国の機構を守る」ことであって「国民を守る」ことではない

布施 沖縄戦の歴史認識の問題も、基地問題と同じように、「沖縄の問題」と片付けられてしまいがちですが、本当は、日本という国のあり方そのものを問わなければならない問題だと思います。一言でいうと、「この国の権力者は国民を守ろうとはしていない」という問題が、戦前から今日までずっと連なっている。

 そうだと思います。牛島の辞世の句(*1)もそうですが、もともと彼が大本営に送った電報では「御国」という字を使っているんです。しかし沖縄の陸自第15旅団が最初にホームページに載せたのでは、「皇国」つまり「天皇の国」になっている。

これがいつから「皇国」になったのかを見ると、1945年6月26日の朝日新聞や読売新聞で、もう「皇国」になっていました。たぶん軍が発表するときに「御国」を「皇国」に書き換えて、それをそのまま自衛隊が使っていたようです。だから、この辞世の句自体が、ある意味、改ざんされていたわけです。

布施 もともと「御」という字になっていたのを、軍が発表するときに変えたんですね。

 ええ。電報の原文をアジア歴史資料センターで見ると、「御国」になっている。軍が発表するときに、「御国」を「皇国」にしちゃっている。それをずっと自衛隊が使ってきて、今回、批判されて、もう一度原文を見たのかもしれません。それで「御国」に書き換えたようですね。

*1 原文「秋を待たで 枯れゆく島の青草は 御国の春に よみがえらなむ」表記の異なるバージョン「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」

第32軍司令官、牛島満
第32軍司令官、牛島満
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布施 それはすごく大事なポイントだと思います。

よく沖縄戦を表現する言葉として、「本土防衛の捨て石にした」というのがありますよね。でも1945年1月20日の帝国陸海軍作戦大綱などでも、「皇土」という言葉を使っています。つまり、「天皇の領地」や「国体(天皇制)」を守るということだった。本土に住む日本国民を守るのではなく、「国体を守る」のが主眼にあったというのが、あの戦争の大きなポイントだった。

ですから最近、参政党の神谷宗幣党首が「日本軍も沖縄県民を守るために戦ったんだ」というふうに主張しましたが、決してそうではなく、当時日本軍が守ろうとしたものは「国体」であって、それが最優先だったのです。

「そのために沖縄県民が犠牲になるのは仕方がない」という認識だったのではないか。そう考えると、先ほど先生がおっしゃったように、もし米軍が本土にも上陸して地上戦になっていたら、沖縄戦で起きたのと同じことが起きていたのではないかと思います。

もちろん、沖縄戦での日本軍兵士による住民虐殺に「沖縄県民に対する差別意識」という要因があったことは否定できません。同時に、もし仮に米軍が九州に上陸したり、他の地域に上陸していれば、けっきょく目の前の国民を守ることよりも、「国体」を守ることを最優先にしたでしょう。

これは今でもそうで、「国防のため」という言葉がよく使われますが、その「国」というのが何を指しているのか? 戦前は決して「国民」のことでなくて「国体」であった。じゃあ今は何なのか? ということを考えていかなきゃいけない。

 「国を守る、というのはどういうことなのか?」というのは、昔からずいぶん議論されたと思いますが、「国を守る」と言うと、一般の国民は「自分たちを守ってくれるんだ」と思ってしまう。でも実は「国を守る」ことと「人々を守る」こととは、次元が違うのです。

沖縄戦では「天皇制国家」を守るために沖縄の人々が、そして日本軍の兵士も、降伏することも捕虜になることも許されず、死を強いられた。「民が死ぬことによって、大日本帝国という天皇制国家が守られる」と。

ですからその場合、「国を守る」というのは、「国家の機構が守られる」ということです。そこは改めてきちんと議論、説明をしないといけない。「国を守る」とは「国を動かしている人々と、その仕組みを守る」ことなのです。じゃあ、そのとき一般の人々が、はたして守られるのか? そこは違うだろう、と。実際それが違ったのが沖縄戦だった。「国体を守るためならば、沖縄の人々は、みんな死んでもいい」とされたのです。

「軍と民が一体となって戦った」ということを自衛隊は盛んに言うわけですが、民が死ぬことによって何を守ろうとしたのか? 「民と、日本という国家は違う」ということが、明らかに沖縄戦では示されています。

それは今後、仮に戦争になったら、日本の中でも「沖縄の民は死んでも日本の現在の国家体制は残る」、あるいは「九州の民は死んでも、東京にある政府の機構は残る」ということになります。それでいいのか?

九州だけじゃなくて、本土の他の地域でも、そうですけれども。

だから「国の仕組みを守る」ことと「一人ひとりの生命、安全を守る」ことは違う、ということを認識して「民を守る」ことをきちんと考えないと、とんでもないことになる。

布施 戦後の自衛隊は、戦前の大日本帝国陸海軍と違って、民主主義国家になった日本の実力組織なので、決して「国体を守る」とか「天皇のために」ではなくて、「この国の主権者である国民をしっかり守る」というのを最優先に考えなきゃいけないはずです。

しかし実際に自衛隊の中でやっている教育はどうか? 陸上自衛隊幹部学校で行っているような、旧日本軍を美化し、旧日本軍兵士のように「お国のために命をかける」ことを「軍人精神」として教え込もうとする教育は、今の自衛隊にはふさわしくありません。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、日本軍兵士による住民虐殺や住民の「集団自決」という惨事を招いてしまった歴史こそきちんと教えるべきだと思います。