親から最初に贈られるもの
【命名権にまつわる事例】
子に「悪魔」と命名することは親の命名権の濫用として許されないとした審判。
(東京家裁八王子支部審判・平成6 年1 月31日・判タ844 号75 頁)
子どもの名前は親からの最初の贈り物だといわれますが、何を贈るかはその時代時代によって少し違っているようです。
昭和元年生まれに「昭一さん」が多いということを聞いたときはなるほどなと思ったものですが、平成の半ば以後、子どもの名前について当て字や漢字本来の由来・イメージにそぐわない読み方を与える名付けが多く見られるようになりました。
キラキラネームなどという呼び方がされるようになり、小中学校では、担任の教師が生徒の名前と読みを覚えるのに苦労するという話もあります。
それと同時に「○太郎」や「○子」といった以前はよく見られた名前について、当世風でないだとか古風だとか言いたがる風潮もあるようです。
名前というものは、それぞれの人のアイデンティティに直結するものであり、軽々に他人が良いとか悪いとか言えるものではありませんが、中には与えられた名前が奇抜で受け入れられにくいものの場合、その人を生きづらくさせることがあるかもしれません。
こうした親の子に対する名付けには何の縛りもないのでしょうか。
子の命名は誰に権利があるのか?
名付けの問題を考えるとき、おそらく40代以上の人であれば皆思い浮かべる「悪魔ちゃん騒動」という事件があります。
平成5年に長男の名前を「悪魔」として出生届を出した親の命名権行使の適法性等が話題となった事案でした(手続的な論点もありましたがそちらは割愛します)。
戸籍法上は「悪」も「魔」も命名に使えない文字ではなかったのですが、役所の担当者が「悪魔」というような熟語としての意味、内容に立ち入って届出を受理しないことができるかが問題となりました。
裁判所は、生まれた子の命名は比較的自由になされており、原則として届出を受けた役所の担当者もその内容にまで立ち入って実質的判断をすることは許されないとしました。
その一方で、例外的に、親権(命名権)の濫用になるような場合や社会通念上明らかに名として不適当と見られるとき、一般の常識から著しく逸脱しているとき、または、名の持つ本来の機能を著しく損なうような場合には、戸籍事務管掌者(市町村長など)は名前の受理を拒否することも許されると述べています。
そして肝心の「悪魔」という名付けが命名権の濫用となるか否かについてですが、親はこの名前によって、「人に注目され刺激を受けることから、これをバネに向上が図られる、マイナスになるかもしれないがチャンスになるかもしれないではないか」と主張していました(祖父母は強く反対していたようです)。
裁判所は親のそうした思いに一定の理解を示しつつも、「悪魔」という名付けによる世間のプレッシャーを跳ね返すには並々ならぬ気力が必要であるところ子にそれが備わっている保証がなく、親の意図とは逆に名前がいじめの対象となり、子自身の社会不適応を引き起こすおそれが十分ありうるとし、結果として命名権の濫用であると指摘しました(なお、この審判書中では「あくまでも受理を求めるときには」というフレーズが出てきますが、文脈的に駄洒落ではなさそうです)。