個人も国家も「公共」から撤退しようとしている
国際社会も市民社会と作りは同じである。個人の代わりに、国民国家が基本的な政治単位である点だけが違う。だから、国家は自国の国益のみを追求し、自然状態においては「万国の万国に対する闘争」を繰り広げていた。これはある程度までは歴史的事実である。
しかし、二度の世界大戦を経て、多くの国々は自国第一主義と決別した。自国の権利行使と、自国益の追求を抑制して、そうやって「浮いた」国権と国富の一部を国際的な機関に供託して、世界的なスケールの「公共」を立ち上げ、それによって国際秩序を維持するという方向をめざしたのである。
オルテガ※は「文明とはなによりも共同生活への意志である」と『大衆の反逆』に書いているが、これはその通りであって、人類はその文明の進化にともなって「分断」を克服して、「共生」を少しずつ実現してきたのである。
しかし、今の世界では、この近代的な国際秩序の理念そのものが揺れ動き始めたように見える。
個人は自己利益のみを追求すればよい、国家は自国益のみを追求すればよい。そういう「自分第一主義」が支配的なイデオロギーとなってきた。個人も国家も「公共」から撤退しようとしている。
「法の支配」が終わり、世界は再び「力の支配」、弱肉強食の「自然状態」へ退行しようとしている。そんなふうに見える。