世界で何が起きているのか
今、世界で起きている事態は「近代の危機」と呼んでよいと私は思う。
危機に瀕しているのは、近代市民社会の基本理念たる「公共」である。「公共」という概念そのものが揺らいでいる。
ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていたという話になっている。この弱肉強食の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。
けれども、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しない。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。
どこかで弱みを見せたら、それで「おしまい」というような生き方はいかなる強者にも自己利益の安定性を保証しない。
それよりは、私権の一部、私財の一部を「公共」に供託して、「公権力」を立ち上げて、それがシステムが成員たちの間のトラブルについては理非の判定を下し、場合によっては強力を以て「非のある方」に処罰を下した方が、私権も私財も結果的には安定的に確保できる。
だから、人間がほんとうに利己的に思考し、ほんとうに利己的にふるまうならば、必ずや社会契約を取り結んで、「公共」を立ち上げることになる……というのが近代市民社会論の考え方である。
もちろん、こんなのは「作り話」であって、『リヴァイアサン』で語られたような「万人の万人に対する戦い」というような歴史的事実は実際には確認されていない。社会契約説は、18世紀の人たちが手作りしたフィクションである。
しかし、市民革命を正当化するためにはこのフィクションが必要だった。そして、歴史的条件が要請した物語であれば、作り話であっても巨大な現実変成力を持つ。