選手たちの成長のために「都合よく使ってもらえればいい」

――中央大から母校・東山高のコーチになった際に出会った、髙橋藍選手の当時の印象は?

松永(以下同)祐希よりも身体の線が細かったですね。レシーブは当時から長けていましたが、攻撃面に関してはまだ硬さもありました。正直に言えば、これほどのスピードで成長していくとは思いもしませんでしたね。

東山高時代の髙橋藍 Photo by AFLO SPORT
東山高時代の髙橋藍 Photo by AFLO SPORT

――大学では関田選手と石川選手、高校では髙橋選手。「松永さんは、どれだけ名選手を引き寄せるんだ」と見る人もいますが、ご自身ではいかがですか?

彼らが成長する、世界へ飛び出す、自分がしたいことをするために“利用できる人間”が僕であり、そういうタイミングで出会っていると思うんです。だから都合よく使ってもらえればいいと思うだけで、自分が「得をした」と思うことはないですね。

僕のキャリアを振り返ってみてもそう思います。小学生からバレーボールを始めて、中学で選抜に選ばれたけど体が大きかっただけで、本来とは違うポジションに入れられた。

高校ではインターハイベスト8が最高成績で優勝経験はなし。パナソニックパンサーズ(現大阪ブルテオン)に入って、日本代表にも選ばれたけれどすぐに外れて、豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に移籍してからも出場機会がなく、肩を痛めて引退した。

下積みもなく、指導者になってからはゼロから築き上げていかなければならないことだらけで、指導者としての経験も浅い。もがいていた時に祐希が中大に来る、という選択をしてくれて、「彼を何とかしたい」と必死だった。その繰り返しです。

東山高に来た時もチームは全国大会から遠ざかっていたので、藍が3年になる時に合わせて「絶対に彼らを全国に連れていく」「日本一になったことがないチームを日本一にする」と。

僕が運を持っているわけではなく、運を持っている人たちが引き寄せて、自らの成長のために利用してくれる。僕の人生はそういうものだと思っています。