高校時代のプレーに「なんとしても欲しい選手」 

――石川選手を初めて見た時、知った時はどんな印象でしたか?

松永(以下同)最初は僕がまだ現役時代、豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)で星城高が練習をしたことがありました。その時に祐希を見て、「バレーボールの技術やセンスは抜群だな」と。当時はまだ身体が細くてひょろひょろしていましたが、最初に見た時から「いい選手だな」と思いました。

その後、星城高で活躍する姿を中大の監督として見て、OBを含めた関係者も「なんとしても欲しい選手だ」と一致したので、僕はどうすれば祐希が中大に入りたいと思ってくれるか、大きなプレッシャーを背負っていたんです(笑)。

僕にできるのは彼の将来を含め、「こうやっていきたい」と熱い思いを伝えることぐらいしかなかったのですが、別の大学も選択肢にあったなか、「中大に行きます」と言ってくれた時は嬉しかったですね。思わず握手したのをよく覚えています。

中央大時代の石川 (写真・Chiba/AFLO)
中央大時代の石川 (写真・Chiba/AFLO)
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――2学年上には関田(誠大)選手もいました。素晴らしいセッターがいる、というのも後につながる大きな要素だったのでは?

まずは身体づくりを考えてトレーニングもしっかりできる環境を、というのが一番でしたが、僕としてはやはり「誠大と一緒に頑張ってほしい」という思いはありました。高校生の時はそこまで考えていなかったかもしれませんが、大学からつながる今の関係を見ると、「よかった」と心から思います。