「寝る場所も早い者勝ちといった感じになってます」
焼け野原になった朝市通りを歩いていた大学生の男性(20)は、地震当日は珠洲市の祖父母の家で過ごしていて九死に一生を得たという。
「正月は珠洲市の蛸島にある祖父母の家に親戚一同集まっていました。揺れは最初のころは大したことなかったのに、40秒くらい経ってから立ってられないほど大きく揺れ出して...…。居間にあった壺は次々と落ちてくるし、家が崩壊しないように壁を押さえたり、おばあちゃんを守ることで精一杯でした。揺れが収まった後は津波が怖いので、すぐに割れた窓ガラスから外にくぐり出ました。幸い、車が動かせる状態だったので、祖父母を乗せて2キロくらい先にある高台まで急いで向かいました。高台には200人を超える住人が集まり、みんなで焚き火をしながら不安な夜を過ごしました」
取材時に一緒に歩いていた友人の男子大学生(19)は輪島市内の自宅で被災し、現在は避難所になっている市役所で不安な日々を過ごしているという。
「とにかく配給される食べ物が少なくて、昨日は水を入れると食べられるパックご飯とレトルトのハンバーグがあったんですけど、これは早い者勝ちでした。僕らみたいに乗り遅れた人は、みかんと水しか口にできませんでした。寝るときは毛布が貸し出されますが、基本的に空いてる会議室などで雑魚寝なので、寝る場所も早い者勝ちといった感じになってます。住むところがないっていうのは、これからの日々を考えるとやっぱりかなり不安ですね……」
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班