「開いた扉は1つだけだったように思います」
衝突が起きたのは、羽田空港の4本ある滑走路のうちのC滑走路。海保の機体はボンバルディアDHC8型機の「MA722みずなぎ1号」(全長25.68メートル、幅27.43メートル、高さ7.49メートル)という中型機で、新潟航空基地への物資輸送に向けて離陸するために滑走路を走行中だった。同じ滑走路を離陸と着陸の航空機が同時に走行することは通常あり得ず、事故ならば管制ミスもしくは両機のパイロットの人為的ミスなのか、あるいはシステム上のトラブルが原因なのかが捜査の焦点になる。羽田空港は3日も大規模な欠航が見込まれ、甚大な影響を受けそうだ。
炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。
彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。
「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」
間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。
「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」
澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。
やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。
「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」
薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。
「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」