2016年ごろからゴミ問題が浮上
そうした流れが渋谷ハロウィーンにつながっていくのはなんとなく想像がつくが、佐藤氏はそれだけではなく「キディランド原宿店というキャラクター雑貨店の影響が大きい」と分析する。
「1983年に日本で初めてハロウィーンパレードを行ったのが、キディランド原宿店の『パンプキンパレード』でした。その後、1997年の『カワサキハロウィン』や『ディズニー・ハロウィーン』へと広がっていき、日本の一大イベントとして、ハロウィーンが定着したのだと思います」
佐藤氏がハロウィーンの日に渋谷を撮影するようになったのは2014年。そのとき、すでに若者たちが集まる文化が根づきつつあったが、「まだ街灯も今ほど明るくなく、撮った写真も全体的に暗めな印象です」と話す。
今と比べれば当時はまだ平和的。その後、2016年には渋谷駅東口商店会が主催した「渋谷ハロウィン仮装コンテスト」も開かれた。
「同商店会会長の佐藤元彦さんは渋谷駅東口商店会の活性化を期待し、大人よりも子どもが楽しめるイベントを、ということで渋谷クロスタワーを会場にして開催しました。当時は大人も参加可能で、一商店会が主催のイベントにもかかわらず、渋谷区外からも人が殺到して大変な賑わいでしたよ」
このころから街に廃棄されたごみ問題も浮上し始めるが、2018年には渋谷ハロウィーンが世間からひんしゅくを買う決定的な出来事が起こる。
暴徒化した若者が道路脇に停車していた軽トラックを横転させる事件が起こったのだ。これにより『渋谷のハロウィーンは危険』という風潮が世間に一気に広がることになった。