渦巻く怨嗟の声…人事は
安倍首相や菅官房長官の独断で決まったのか
巷間に伝わるように、一連の人事が安倍首相や菅官房長官の独断で決まったと結論づけるのは難しい。繰り返しになるが、最後は三者協議に委ねられるとはいえ、そこに至るまでの過程で秘書官を長く務めたとか、政策論で擦れ違いが起きたとか、関係者の間でさまざまな思惑が絡み合うからだ。
ただ、ここに取り上げた人事の数々は、霞が関の話題を大いに集めただけではない。人事の度に官房長官から発せられる次の一言が、官僚たちのさらなる疑心暗鬼を増幅する効果をもたらした。
「適材適所」―人事権を握る政治の側が、すべての人事をこの一言で片づけてしまえば、官僚の側はただ現実を黙って受け入れるしかない。人事権者にとって極めて都合のいい言葉だが、発令される身にとっては「そう決定した評価基準を明確に示してほしい」と、文句のひとつも言いたくなるのが人情というものだろう。次官、局長級の幹部はすでに三〇年前後のキャリア経験があり、それまで蓄積されてきた人事評価が顧みられることもなく、最終段階にまで辿り着きながら官邸の一存で黒白をつけられるのは耐えられない、と不満を抱いたとしても不思議ではない。
官邸に好かれると偉くなれる、嫌われると外される
霞が関に充満する怨嗟の声を拾うと、
「恐怖心で人事を操るのはやめてもらいたい」
「政策は本来大臣が責任を持って決めるのであり、官邸が人事権を盾に政策議論を都合良く誘導するのは弊害が大きい」
「官邸に好かれると偉くなれる、嫌われると外されるといった傾向が強まり、各府省ともエース級の人物で辞める人が増えている」
こうした声が渦巻く背景には、安倍首相の長期政権が続き、安倍―菅の政府首脳が長らく幹部公務員の人事を掌握していた現実があった。とりわけ、菅官房長官は著書『政治家の覚悟』(文春新書)の中で、「私は、人事を重視する官僚の習性に着目し、慣例をあえて破り、周囲から認められる人物を抜擢しました」と明言しており、抜擢された人物は満足するだろうが、その背後に傷つく人物が何人もいるはずで、人事の一面だけを見ていると内閣人事局の本質を見誤ることになる。
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