SF映画に導入された新たな映像様式

今だったらネットで検索すれば知らんでもいいことまで情報が手に入りますが、あの時代の新作映画の情報は本誌「ロードショー」と競合誌「スクリーン」、月に2号出るけど文字ばっかりの「キネマ旬報」、そして映画製作に乗り出して邦画界に旋風を巻き起こしていた角川書店の月刊誌「バラエティ」やSF専門誌の「スターログ」日本語版あたり。そのへんを読んで、自分の嗅覚に合いそうな映画の公開を心待ちにし、「ぴあ」「シティロード」「アングル」といった情報誌で上映館や上映時間を確認して狙いを定め、電車に1時間乗って東京を目指す———そんな映画生活でした。

それらの、今と比べたら枯渇しきった情報源から得られる情報を総合すると、原作はまだ“サイバーパンク”とジャンル分けする単語すらなかったフィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。音楽は前年のアカデミー賞オリジナル作曲部門を『炎のランナー』(1981)で受賞した、シンセサイザー奏者のヴァンゲリス。テレビ朝日でオンエアしていた科学ドキュメンタリー『カール・セーガンのコスモス』や、池袋サンシャインシティ内のプラネタリウムで夜間行われていたレーザー光線ショー「レザリアム」の音楽も彼だから、SFとの親和性はピッタリだった。

「これが映画だ、ということに電撃に近いショックを受け、打ちのめされた」…大人が嗜む苦み走ったコーヒーやシガーのような滋味を初めて知った樋口真嗣を、同時に震撼させた劇場での光景【『ブレードランナー』】_2
スタイリッシュな近未来描写が特徴の『ブレードランナー』プロダクションデザイン
©Allstar/amanaimages ©WARNER BROS. 

視覚効果は『2001年宇宙の旅』(1968)『未知との遭遇』(1977)『スター・トレック』(1979)のダグラス・トランブル。あのテレビスポットで印象に残る、空飛ぶパトカーの光芒や地平線まで続く未来都市の街明かりは紛れもなく彼の美学由来のものだ。そして監督は3年前の1979年、劇場映画監督わずか2作目の『エイリアン』(1979)で、SF映画に新たな映像様式を導き出したリドリー・スコット。

この布陣で、『フレンチ・コネクション』(1971)をしのぐ(←これは高校2年の私の思い込み)SFポリスアクションで、『エイリアン』を超えた残虐な美学と暴力で彩られた刺激的な(←これも高校2年の私の思い込みだけど大体合ってた)犯罪映画なんだから、期待しないやつはバカだ。映画を語る資格はない! 『イデオン』なんか行ってる場合じゃない! 最高のテンションで今はなき新宿の巨大劇場ミラノ座に駆け付けたのは公開翌週の7月17日でした。

そこまで観る気満々だったのに、新宿まで行く電車賃をケチるあたりが高校2年生の経済力であります。翌週の17日公開のクリント・イーストウッド監督・主演の軍事アクション『ファイヤーフォックス』(1982)に合わせて、どうせ新宿まで行くならハシゴして見たほうが電車賃がお得じゃん…誰よりも早く観たいという気持ちよりも電車賃だったのでしょう。ついでで観る『ファイヤーフォックス』も、タイトルロールにもなっている架空の超音速戦闘機の特撮を、『スター・ウォーズ』1作目のあとはジョージ・ルーカスと袂をわかった特撮監督ジョン・ダイクストラが担当して、超音速の空中戦を繰り広げるのだから見逃せません。

そして7月17日、新宿ミラノ座に意気揚々と乗り込んだ私が観たものは… ガラッガラの客席でした。