素朴で力強いイメージだった1980年代の中国映画
中国映画界に新しい潮流が見えはじめた1980年代以降。チェン・カイコー(陳凱歌)、チャン・イーモウ(張芸謀)、ティエン・チュアンチュアン(田壮壮)ら、中国映画第5世代と言われる作家たちの作品は、洗練という言葉とは真逆の、素朴で力強い原石の輝きこそがその魅力だったように思う。
チェン・カイコーの『黄色い大地』(1984)しかり、チャン・イーモウの『紅いコーリャン』(1987)しかり。だが、ティエン・チュアンチュアンの『青い凧』(1993)が中国国内で上映禁止措置を受け、監督が10年間の映画撮影禁止を命じられたことに象徴されるように、その内容が、文化大革命のような中国の黒歴史に対して、ちょっとでも批判的な眼差しを持つと容赦なく潰される時代だった。
一方、同じ時期の香港映画界は、それまでのクンフー映画やジャッキー・チェンのアクション・コメディなどのお決まりの路線に加えて、ジョン・ウー(呉宇森)の『男たちの挽歌』(1986)のような、国際的に通用する“香港ノワール”や、主演のアンソニー・ウォンの名を一躍知らしめた『八仙飯店之人肉饅頭』(1993)のように、内容の良し悪しは別として、圧倒的なパワーで世界中にファンを獲得していった。
その後、チェン・カイコーもチャン・イーモウもジョン・ウーも、みな海外での仕事やハリウッドスターを起用しての仕事を経験。国際的に通用する映画作りのノウハウを会得したのち、中国映画界へと戻っていく。
1997年の香港の中国への返還によって、一時は香港映画人の海外への流出が危惧されたものの、結果的には香港映画界と中国映画界の融和が促進される形に。中国映画界は香港映画が培ってきたノウハウや人材をも取り込んで新たな時代へと突入した。