――小さい頃から、アイドルには興味があったのですか?
私は幼い頃から、アイドルになりたかったんです。昔はよく歌番組が放送されていたので、歴代のアイドルの映像を見て真似をしていました。先日、小学校の頃の文集が出てきたんですけど、まだ1年生とか2年生だったのに“アイドル歌手になりたい”と書いてあったんです。物心がつく頃にはアイドルになるって強く思っていましたね。
――デビューのきっかけとなったオーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)に出演される前に、事務所に所属したり、オーディションなどは受けていましたか?
たまに街にお買い物に行くと、スカウトされることはありました。でも親があまり乗り気じゃなかったので、事務所に所属したことはなく。『Deview(デビュー)』というオーディション雑誌を見て、“応募したい”としきりに言っていましたが、親からは冷静に“東京まで行くのに、すごくお金かかるんだよ”と言われたので、ずっと諦めていましたね。でも『ASAYAN』のオーディションが札幌でも開催されたのでそのタイミングで初めてオーディションを受けることができました。
――「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」では最終審査まで残って落選。その後、落選したメンバーでモーニング娘。を結成してメジャーデビューを目指して『愛の種』(1997年11月)のシングル5万枚手売りをされました。
札幌の友達は私がテレビに出ていることを知っているけれど、ASAYANが放送されていない稚内の親戚は知らないので後から知って驚いていました。地域性といいますか、北海道の人はシャイな方が多いので、“CD即売会に行ってみたいけど、なんか行けないな…”みたいなところがあるんですよ。それと比べると大阪にはたくさんの方が集まってくださったので驚きましたね。
――5万枚完売すればメジャーデビューできるという話でした。
もう何が何でも“デビューがしたい! “という心境でした。私達はオーディションに一度落ちてデビューを逃しているので、”CDを売り切らないとデビューができない“という瀬戸際。とにかく必死でした。
――実際にメジャーデビューが決まった時の、ご両親の反応は?
合格をいただいて、「決まったんだったら、もう頑張るしかないね」と言って貰えました。あとは“学業はおろそかにしない”という約束をしました。高校もアイドル活動を行うために地元の学校から、東京の学校に編入しました。
16歳で歌った「モーニングコーヒー」…朝にコーヒーを飲むことの意味がわからなかった
国民的アイドルグループ『モーニング娘。』のオリジナルメンバーであり、7年4カ月という長い年月を、アイドル活動に捧げてきた飯田圭織。現在は、育児を中心としながら活動を続け、インスタグラムでは料理の腕も披露している。8月8日に41歳の誕生日を迎えたモーニング娘。の2代目リーダーは、そもそもなぜアイドルを志したのか。飯田圭織の素顔に迫る。
モーニング娘。のオリジナルメンバーで、二代目リーダー飯田圭織の葛藤・前編
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