自分がアイドルになったという実感のないままモーニング娘。に…

――いよいよアイドル活動をスタートされました。

「インディーズ(『愛の種』リリース時)の頃は、あまりTVに出ていなかったんです。『ASAYAN』だけでしたね。それがメジャーデビューをしてからは、テレビ東京以外の音楽番組にも出させて頂くようになりましたね」

――飯田さんが在籍されていた頃のモーニング娘。の活動が、ファンの間では黄金期(1999年~2003年頃)と呼ばれています。当時は音楽番組以外にも『ハロー!モーニング。』(テレビ東京系列)や、『モー。たいへんでした』(日本テレビ)などレギュラー番組も持っていました。また『ハロコン』と呼ばれる『Hello! Project』のメンバーが出演するコンサートは、朝昼夜と一日に3公演されています。かなり過密スケジュールだったと思いますが、なにか記憶に残っていますか?

いやもう、忙しすぎてあんまり記憶にないんです(笑)。コンサートも1日3回公演していましたね。もうとにかくその日1日1日を大事に生きているという感じでした。田舎の高校生がいきなり社会に出てきたので、色々とカルチャーショックが大きかったです。北海道の札幌といっても田舎の方だったので、それまで芸能人を見たこともなかったんです。

――アイドル活動以前に、毎日、驚きが多かったんですね。

メンバー以外に芸能人の友達もいなかったですし、本当に、毎日が夢のような世界。そんな世界にいきなり飛び込んだので、右も左もわからずにいましたね。

――当時は、自分がアイドルになったという実感はあまりなかった?

仕事の現場に行くと会う人、会う人が“テレビで見ていた人だ! “といった感じで。デビューした頃はそういう衝撃しかなかったですね(笑)。

――シングルCDオリコントップ10入りした作品数が71作で歴代1位ですし、シングルCDオリコン連続トップ10獲得年数が24年という女性グループ1位の記録も持っています。ほかにも上げるとキリがないくらい多くの記録を残していますが、飯田さんが嬉しかった記録ってありますか?

紅白歌合戦の出演が決まった時(注:1998年)は凄く嬉しかったです。全国で放送されるので、稚内の祖母にやっと“テレビに出ている姿を見てもらえたんです(笑)。