問題視すら許されない「能力」—「ご機嫌」「しあわせ」「怒らない技術」

抽象化、汎用化を経て、もはや「能力」は神格化レベルに入っている。

そう私は感じています。テストでいい点数をとり、よい学校へ入る。そんな分かりやすい「学力」から、気づけば「人間力」という何かを言っているようで何も言っていない、中身がよく分からない「生きる力」などの「能力」養成へ、という系譜を辿ったことは、教育社会学の研究から見てきました。

それが今や「センス」や「美意識」「リーダーシップ」「アントレプレナーシップ(起業家精神)」、はたまた「ウェルビーイング」などなど、「能力」次第で人生の取り分を決めると豪語するわりには、何をもってそれが高いのか・低いのかも分からなければ、仮に測定・評価され、「あなたは『リーダーシップ』が足りない」と言われたところで、何をどうすべきかよく分からないものが台頭してきています。

「ウェルビーイング」なんて、もはや「イルビーイング」もあるのかよ! とツッコミたくなるのは私だけでしょうか。人間は調子がよいときもあれば悪いときもあるものです。それをもコントロールできることを求めるのは、神の領域ではないでしょうか。

加えて昨今では、「機嫌」なんてのも、おっかないなぁと思って世論を眺めています*4。機嫌よくいろ、とは言うものですが、いつ何時も、となると、ことばの響きとは裏腹に非常にマッチョな話。

写真はイメージ 写真/Shutterstock
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他者や自分の機微に気づき、心を痛めたり、それに対して何かせねばと心を燃やすことや、たとえうまく行動できなくてもメラメラと闘志を燃やすことなどなど……しかめっ面になってしまうときだって、誰の人生にもあります。

そんなときですらも、「機嫌よくいろ」と言うのは、相手を黙らせるだけではないでしょうか。神学者で東京女子大学学長の森本あんり先生も『不寛容論』の中で「『相手を心から受け入れ、違いを喜びなさい』というポストモダンのお説教」と表現しており、誠に溜飲が下がります。

その不寛容さ、非現実さを批判しようものなら、それすらも「だからお前はダメなんだよ」と言われそうなのも、実におっかない。

社会問題を深刻に捉える、真剣な解決を目指すこと自体が忌避されているきらいすらあるように私は思うのです。「怒らない技術*5」なども結構なことですが、個人がいつもご機嫌で、目くじら立てないことが推奨されてしまうと、本来見直されて然るべき社会の構造や政治的な問題はどうなってしまうのか、とても気がかりです。

このようにして、人として当たり前の感情すらも個人のコントロール下に置かれ始めている「能力」。

あれが必要、これが必要と、要請されることには終わりがなく、個人は「能力」獲得に向け、右往左往。真面目であればあるほど、自分の責任・問題であると考え、構造的な問題からは目を逸らさせる格好の逃げ口上になっているとも言えます。

これでは体制側は当然、「能力主義」を手放そうとしません。人々の側も、薄々疑問は持ちながらも、当たり前のように社会の仕組みが「能力主義」的につくり込まれすぎているため、従わない手立てはそうそう見当たらないのです。

文/勅使川原真衣

脚注
*1 中村高康『暴走する能力主義』ちくま新書、2018年、22〜23頁。
*2 「特別企画:企業が求める人材像アンケート」帝国データバンクホームページ、2022年。
*3 「Z世代(26歳以下)の就業意識や転職動向」リクルートホームページ、2023年。
*4 秋田道夫『機嫌のデザイン』(ダイヤモンド社、2023年)など。
*5 嶋津良智『怒らない技術』Forest2545 新書、2010年。

働くということ 「能力主義」を超えて
勅使川原 真衣
働くということ 「能力主義」を超えて
2024年6月17日発売
1,078円(税込)
新書判/264ページ
ISBN: 978-4-08-721319-5

【新書大賞2025 第5位!】

他者と働くということは、一体どういうことか?
なぜわたしたちは「能力」が足りないのではと煽られ、自己責任感を抱かされるのか? 
著者は大学院で教育社会学を専攻し、「敵情視察」のため外資系コンサルティングファーム勤務を経て、現在は独立し、企業などの「組織開発」を支援中。本書は教育社会学の知見をもとに、著者が経験した現場でのエピソードをちりばめながら、わたしたちに生きづらさをもたらす、人を「選び」「選ばれる」能力主義に疑問を呈す。
そこから人と人との関係を捉え直す新たな組織論の地平が見えてくる一冊。
「著者は企業コンサルタントでありながら(!)能力と選抜を否定する。
本書は働く人の不安につけ込んで個人のスキルアップを謳う凡百のビジネス本とは一線を画する。」――村上靖彦氏(大阪大学大学院教授、『ケアとは何か』『客観性の落とし穴』著者)推薦!

◆目次◆
プロローグ 働くということ――「選ぶ」「選ばれる」の考察から
序章 「選ばれたい」の興りと違和感 
第一章 「選ぶ」「選ばれる」の実相――能力の急所
第二章 「関係性」の勘所――働くとはどういうことか
第三章 実践のモメント
終章 「選ばれし者」の幕切れへ――労働、教育、社会
エピローグ

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