「潤人は泣きながら国際電話をかけてきました」
プロデビューを目前に控えた16歳の中谷潤人は、アメリカで挑んだアマチュアの大会で判定負けを喫した。その日を、父・澄人は鮮明に覚えている。
「大泣きというほどでもないのですが、潤人は泣きながら国際電話をかけてきました。あんな弱い潤人は初めて、というものでした。そこで私は『この会話の目的はなんだ? 自分がアメリカ行きを望んで、やっているんやろ』と応じたんです。
キツい言葉だったかと思います。ただ、涙が出るということは、まだやりきっていないと感じました。努力して失敗するのはいいと思うんです。でも、悔いだけは残してほしくない。
本当に死に物狂いでやりきって向こうが一枚上手だったなら、負けても涙は出ないだろうと。そういう人生を送れと。あえて嫌われ役になろうと思いました」
電話を切る前、中谷は父に「プロでは絶対に負けない」と誓った。
アメリカで闘ったアマチュア戦は4試合。そのラストマッチとなった16歳9カ月のファイトで敗れた。日頃からスパーリングを重ねていた、全米ランキング上位の選手が相手だった。
中谷は自信を持っていたが、序盤の2ラウンドでポイントを失い、最終ラウンドを取り返すも勝利には届かなかった。中谷自身はこう振り返る。
「当時、両親はお好み焼き店を営んでいて、(店内に)試合のポスターを張って、お客さんたちから応援して頂いていたんです。だから、真っ先に報告しなければと思って電話しました。
父からは厳しい言葉をかけられましたが、それ以上に優しさを感じました。結果だけを見るのではなく、家族として自分が努力できるように支えてくれているんだな、と思えたんです。だから、絶対に家族を失望させてしまうのは嫌だな、絶対に避けたいな、という気持ちになりました」
――この挫折が、後の“負けないプロボクサー”中谷潤人を形づくる礎となった。












