格闘家から物流商社の社長へ転身した卜部弘嵩

「現役引退試合は1年前くらいから計画し始めて。セカンドキャリアについても現役時代からいろいろと考えていましたね。やっぱり格闘技の世界にいたかったので、当時は後進育成をしたいと思っていましたね」

そう話す卜部は、まず同じく世界王者の弟・卜部功也が開いていたジムで、空手やキックボクシングの指導を試験的にやらせてもらったという。

「そこで自分には教えるセンスがないことを痛感したんですよ(苦笑)。自分が感覚的にできていたことを生徒さんができない理由がわからなくて。言語化し、理論的に伝えることができなかったんです」

まったく別の道を探すしかない。格闘技以外では父親が働いていた物流業界に関心があったと明かす。

「父親がトラックの運転手だったので、子どもの頃は助手席に乗せてもらって、地方でおいしいものを食べて帰ってきたりしていました。そんないいイメージがあったので、物流業界でチャレンジしてみようと考えたんです」

卜部弘嵩 (撮影/廣瀬靖士)
卜部弘嵩 (撮影/廣瀬靖士)
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そう思い立つと、まずは千葉県柏市の220坪の倉庫を当時の預金大半を投入し借りた。現役生活最後の1年は、朝は倉庫への入荷対応、午後は東京に戻ってトレーニングという二刀流だったと振り返る。

「業務内容はメーカーさんからの荷物を預かって保管し、必要に応じて出荷。それに伴う検品やラベル貼りなどの軽作業も行ないます。売上は順調で、1期から2期の売上率は1000%近かった。格闘技と同じで、気合いと勢いだと思いましたね。流れに乗ったらとことん行こうと、2年後には2660坪の倉庫、その半年後にはさらに2400坪の倉庫を借りました。一時期は山梨や静岡にも物流拠点を展開し、“ダメなら撤退、よければさらに拡大”という戦略を繰り返していきました」

そんな順風満帆だった卜部だが、3期目で苦境に立たされる。

「急に大きくなった分、業務の細部に目が届かず、社員の急増で教育も追いつかず……。その頃の自分は経営者としての経験値や慎重さ、物流の知識やバックオフィス業務など、すべてにおいて足りていなかった。言うなれば、部活を頑張ってきた高校生が、いきなり社長になったような感じでしたから。

格闘技ってわりとシンプルなんですよ、“リングに上がって相手を倒す”ですから。でも、いざ社会に出てみると、そんなシンプルさでは乗り越えられないことがたくさんあって。会社が苦しい中で、本当にたくさんの勉強をしましたね」