(4)本来の「輝き」と「やりがい」の喪失
自前でのネットショップ開設・運営は難しい職人さんや、直販ルートだけでは食べていけない職人さんたちは、生き残るために、こうした厳しい取引条件に応えられる品を作らざるを得なくなる。それはひとことでいってしまえば「流通事情に乗る量産品」だ。つまり「売れ筋のデザイン」で「短期間に多数納品できる」商品である。
「美しいモノ」を作ることと、「売れるモノ」を作ることはつながっていそうで(また実際につながることもあるかもしれないが)、本来的には全く違う。そしていま、「売れるモノ」ばかりを過度に追求した結果、「伝統工藝的ブランディングをまぶしただけの『工藝品っぽい』商品」、長年の積み重ねによる文化を雑に濾したような、絞りかすのような商品が少なからず市場に出回っている。
自然の素材を、不自然な流通システムに乗せてものづくりをしても、不健康なモノができるに決まっている。そこでは工藝において大切な、職人さんのこだわりや情熱、ものづくりにおける喜びが失われてしまっている。
さらに、こうして世に出た品々が工藝品のうち多数を占めていくほど、使う側が本当に美しいモノにふれる機会も減ってしまう。結果、工藝を愛でる「眼」は育まれず、負のスパイラルに突き進んでいくだろう。
こうした悪循環は、本来なら素晴らしい才能や可能性を宿した多くの作り手を「ゾンビ職人」(失礼を承知であえてこう呼ばせていただく)ともいうべき、哀しい姿に追い込んでしまう。
さらに、ものづくりが好きで職人の扉をたたいた若手も定着せず、後進の育成が一層困難になっていくだろう。これらに共通する大きな問題は、経済的なこともさることながら、「しごとがつまらない」ものになってしまうことだと思う。職人さんとお酒を酌み交わしながら話していると、「俺の子にはもう継がせたくない」という方は少なくない。以前はお金がそんなに稼げなくとも、自分の目指したいものづくりができていた。
しかしいまは、お金も稼げず、好きなこともできない(ものづくりの喜びも味わえない)のだという。業界構造の変化に対応するために不得意なことを始めるか、割り切って売れるモノづくりの道を歩むか─。ものづくりのことだけを考え、その探究に邁進できる環境が失われていくなかで、職人さんたちはそんな選択肢を迫られている。
また、最近は「地方創生」のかけ声に疲弊させられている職人さんが多いとも感じている。
こうした動きを推進する人々の多くは、伝統工藝に従事する職人さんたちを「助けたい」「救いたい」といって現場へ視察にやってくる。しかし、助ける・助けられるという一方向的な関係になると(実際にはそうした支援の要素があるにしても)、職人さんのしごとや彼らがつくるものの価値に正面から向き合わずに自分たちの施策や提案を進めてしまい、最後は「支援している自分たち」に矢印が向いたような動きになりかねない。もちろんそうでない誠実な方々もいるのは承知の上だが、「地方創生」の仮面を被ったマネー至上主義に振り回された職人さんも実際に見てきた。
現代の社会において日本の工藝の真の魅力を届けるためには、その良さをいかに伝えていけるかと同時に、こうした構造的な課題をいかに改善していけるかが大切だと思っている。
そして、僕自身の目指すことでいえば、それは「社会にインパクトを与えるしごとをしたい」という目標と、「お世話になった職人さんたちに恩返しをしたい」という思い、それぞれともリンクしている。













