塚原龍雲氏と小島鉄平氏
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木を愛でていた園長先生

 また、日本の盆栽を世界に伝えるというミッションのもと、伝統を守りつつ既成概念を超えた活動を続ける盆栽士・小島鉄平さんも「盆栽において最も大切なことは『愛』 だといっていた。定期的な水やりなど日々の面倒を見ながら、その盆栽の微細な変化にも気づいて手入れしてあげること。それはテクニックではなく「愛」からくるもので、そうした愛をもって個々の盆栽に接することが、最も大切だと話していた。
 盆栽は生き物でもあるから単に「モノ」ともいえないが、こうした体験から共通して感じるのは、日本人の国民性や文化の一部も、身の回りに置く対象を大切にする心から育まれてきたのではということだ。この価値観のもと、美しいモノを通して優しい人が増え、温かい世の中につながることを願っている。(『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』塚原龍雲・集英社新書より)

小島 子どもの頃の話をすると、一時期預けられていた施設の園長先生が、盆栽を愛でている人でした。家庭の事情で、僕と弟のふたりで児童養護施設に行くんです。そこから学園という場所に行くんですけれども、その学園の園長先生が普段はすごく厳しい人なんですけど、盆栽を愛でている後ろ姿を見たときに、いつもと違う雰囲気を感じたんですよね。

なんでだろうと思って近づいていったんです。そこで「先生なにやってんの?」みたいな話をしたときに、「これは盆栽というんだよ、お前興味あるのか?」って。

たぶんきっと僕、いま思うと興味はなかったんだと思うんです。それよりも「普段あんな厳しい先生が、なんでこの植物を愛でているときだけ、いつもと違う雰囲気を出しているんだろう?」ということに興味があったんですよね。たぶん、付け入ろうとしたんでしょう。可愛いがってもらおうと思った自分がどこかでいたんでしょうね。「興味がある!」と言ったんです。そしたら先生が「じゃあお前、盆栽教えてやるよ」と。小学校一年生の頃の話ですね。

そこから水あげだったり、たまに剪定とかも手伝ったりと、盆栽を覚えていった。普段はその学園から小学校に通うんです。親のいない子たちがそこで集団生活をするんですけど、みんなで御飯食べて、お風呂入って、寝て起きてという生活の中に盆栽もあった。

本格的に興味を持つようになったのは、小学校の途中でまた学園から親に引き取ってもらってからですね。うちは団地だったんですけど、まわりの一軒家で盆栽が庭にある家もあって、それをフェンス越しに覗いたり、時にはピンポン押して「盆栽見せてください」みたいなことをやっていた小学生でした。

子どもの頃から盆栽とはなぜか縁があって、引き取ってもらった先が松葉町という「松の葉の町」、千葉県柏市松葉町で、千葉も葉っぱが入っていて「千の葉」だし、柏市の柏は「真柏(しんぱく)」という、これも木の字。小学校も松葉小学校、中学校も松葉中学校、住んでいる町も松葉町(笑)。 松と真柏は盆栽を代表する木ですから、「盆栽のためにつくられた地名なんじゃないか?」って、子どものころから常に意識していましたね。なので今の会社も「株式会社松葉屋」、地元の名前なんです。

真柏 (推定樹齢300年)
真柏 (推定樹齢300年)

――小島さんはかつて洋服のバイヤーで、服の買い付けで行った海外で向こうの盆栽を見て、「本物の日本の盆栽を世界に広めなければ」と今の会社を始めたんですよね。

小島 そうですね。それはやっぱり僕が洋服も好きだった、子どもの頃からヴィンテージが好きだったということと深く関係していると思います。

小学校高学年のときに、親父からもらった「501の66」というヴィンテージ。1966年につくられた、そのときにしかなかった生地で作られたデニムですね。つくりが違う。親父もお袋もすごくヴィンテージが好きだったので、いつも勝手に親のタンスから取って、自分で履いていたんですよ。「お前、そんなに好きなのか?」ってプレゼントしてもらったのが最初のきっかけです。

そして、もともとは数ドルだったものが今ではとんでもない金額になっているということを聞かされて、カルチャーショックを受けて。「なんで古いものが高い値段で取引されるんだろう?」と、ヴィンテージの世界にはまっていくんです。リーバイスのデニムから始まって、家具だったり、クルマだったり、バイクだったり、「古くて価値のあるもの」にすごく興味を持ち始めて、それの究極は「盆栽」というところに行くわけですけど、なにか全てリンクしていたなとは思いますね。