かつて米軍は中国に核爆弾を落とす作戦も検討し爆撃機発進基地となる沖縄が報復されても「しかたない」と考えていた

布施 今のお話を聞いて思い浮かんだのが、1958年の第2次台湾海峡危機です。台湾の金門島に対して中国が対岸の福建省厦門(アモイ)から大規模な砲撃を行ったときに、アメリカが介入を検討したんです。当時アメリカは核兵器を使う戦略を取っていたので、中国本土の砲台といくつかの航空基地を小型の核兵器で攻撃するという計画を軍が立案したんです。

当時はまだミサイルがないので、「沖縄から発進させた戦闘機に核爆弾を積んで中国本土に投下する」という計画でした。それをやった場合にどういう結果をもたらすか分析もしていて、「ソ連が参戦して核で報復してくる可能性がある」と。どこに報復するかというと、米軍基地が集中する沖縄に報復してくる可能性が高い、という分析結果を出した。

それを見た当時の米軍の統合参謀本部議長がコメントした内容がアメリカの記録に残っています。「台湾防衛をアメリカの国家政策とするならば、それはやむを得ない」と。つまり「沖縄が核兵器、核爆弾で報復されても、しょうがない」とコメントしていたんです。

それを読んだ時、私は背筋が寒くなりました。「アメリカにとって日本はあくまで戦争に勝つための手段でしかなく、日本国民の命は彼らにとってそれほど重要ではない」とハッキリわかったからです。アメリカのそういう考えは、おそらく今も変わってないと思います。

今、トランプ政権になって、アメリカの利己的な「自国第一主義」が見えやすくなってはいますが、先生がおっしゃったように、これまでの戦争でアメリカがどういう戦い方をしてきたのかもしっかり見た上で、日本政府は日本の国民の命を守るということを最優先にアメリカとの付き合い方も考えていかないといけないと思います。

ただホイホイとアメリカにつき従って、「アメリカに喜ばれることばかりやろう」ということでは、私が『従属の代償』で書いたように、私たち日本国民がとてつもない代償を払わされることになってしまいます。

1958年9月17日、第2次台湾海峡危機。写真=TopFoto/アフロ
1958年9月17日、第2次台湾海峡危機。写真=TopFoto/アフロ
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権力を持つ側の変わらない精神構造の問題

布施 林先生の『沖縄戦』で非常に納得したのが、日本軍による住民虐殺などが起きた要因の一つとして、「皇軍=天皇の軍隊」という位置付けが将兵たちを「天皇の代理人」のように振る舞わせ、そのエゴイズムを極端なまでに肥大化させた、と分析されていたことです。

天皇という絶対的な権威を笠に着て、民間人を見下したり、傲慢に振る舞ったりした、と。

これを読んだ時、戦後の日本政府をリードしてきた人たちにも同じような精神構造があるのではないかと思いました。

覇権国家であるアメリカのアジアにおける「副官」的なポジションをとることで、自分まで偉くなったような気になって、他のアジアの国を見下したり、傲慢に振る舞ったりしているように私には見えます。

自らのエゴイズムを肥大化させることができるこの構造を失いたくないから、ひたすらアメリカに追随していこうとするし、アメリカが覇権国家であり続けられるように懸命に支えようとしているのではないでしょうか。

権力を持つ人たちの中にこうした精神構造が今も変わらずあるとすれば、また戦争になった場合、沖縄戦と同じようなことが繰り返されるのではないかと危惧します。