戦後、天皇制に代わって日米安保が「国体」になった。それでいいのか?
林 「1945年までは天皇制が国体であった。戦後は日米安保が神聖不可侵な天皇制と同じ国体になってしまった」と指摘している研究者がいます。
そこから思考が全く出ないようになってしまっている。「ともかくアメリカという親分に言われるままについていって、親分がどんな悪いことをしようと、ひたすらついていく。そうやって生きていこう」という意識から全く出ることができない。
しかしいくらアメリカが強力な国であっても、「おかしいことは、やっぱりおかしい」ときちんと言って、「日本国民と、日本に住んでいる人々をどう守るのか」ということを考えないといけない。
たとえば自民党の西田昌司参議院議員は、糸満市にあるひめゆりの塔で、沖縄戦で犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の説明について「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて、沖縄が解放された、という文脈で書いてある。
歴史を書き換えると、こういうことになってしまう」という発言を5月3日にしましたが、「アメリカが解放した」なんて沖縄の人は考えていませんし、ひめゆり平和祈念資料館にも、そんな記述はありません。
米軍にとっては米兵の命が一番大事だったわけで、米軍の損害を減らすためには、そこに日本の軍人と民間人がたくさんいることが分かっていても、まとめて攻撃して殺してしまったのです。
また、日本兵が民間人の服を着て夜襲をかけたりしたので、米軍もそれを恐れていて、明らかに民間人の集団であっても容赦なく殺してしまったという側面があります。
だから、沖縄戦では米軍が降伏した住民を保護した側面ももちろんあるけれども、「アメリカが沖縄を解放した」とは、沖縄の人たちも、私も、まったく考えていません。
米軍も、決してそこに住んでいる人々の生命、安全を大事にしてくれるわけじゃない。「あくまでも米軍兵士の命が大事であって、彼らのためには他の人々は少々犠牲になってもやむを得ない」という作戦をしているんです。
「米軍というのはそもそも、決して日本の人々を一番大事にしてくれるような存在ではない」ということ、これは沖縄戦から学べることだと思います。
そういう意味で、西田議員は一体何を考えているのか、と思います。もしアメリカが沖縄を解放してくれたんだったら沖縄の人々はもっと親米になり「米軍は必要だ」と思うはずですが、そうじゃないので。
沖縄戦から学ぶべきことは、日本軍のやり方と同時に、米軍のやり方なんです。これはたぶん今のイスラエルがガザでやっていることにもつながってきています。
イスラエル軍は「ハマスの司令部が病院の地下にあるから」といって、病院ごと全部破壊しています。米軍のやり方も、あのやり方なんです。そこに軍事施設、軍事目標があれば、まわりにいかに民間人がいても全部破壊してしまう。そのやり方を、場合によっては日本列島の中でもやりかねないのです。
たとえば日本の南西諸島のどこかが占領された場合、米軍は敵軍を潰すために、仮にそこに島の人々が残っていたとしても、全部攻撃して破壊しようとするでしょう。
ですから「米軍のそういうやり方を、日本が認めていいんだろうか?」と考えないといけない。そして、日本で、だけじゃなく、米軍が他でやることも含めて「認めていいんだろうか?」ということも、沖縄戦との関係で考えないといけない問題だと思います。