「自分との戦い」に持っていかない
ピアノと習字の違いは、進級という制度のほかにもありました。それは、私の場合、ピアノの練習は個人レッスンでしたが、習字教室は妹と一緒に通っていたことです。
私にとって、これがもっとも大きかったと思います。つまり、身近にライバルがいたのです。
妹が習字教室に行くというと、たとえ行きたくなくとも、私も一緒に行かないわけにはいきません。行かないと妹に差をつけられてしまいます。
「妹には負けたくない」
そう思って、「私も一緒に行く」と言って、ともに教室に向かいました。
何かをやり続けるうえで、こういったライバルという存在は必要不可欠だと思います。浅田真央選手とキム・ヨナ選手、羽生善治棋士と森内俊之棋士といったように、何かに努力をし続ける際に、ライバルがいるというのはとても心強いのです。このような「競争」があることは、効率的に自分自身を高めていくには、都合がいいのです。
私は中学校まで北海道の公立中学校にいましたが、定期試験でダントツのトップなどではなく、いつも僅差で競うようなライバルがいました。
同学年に秀才といわれる男の子がいました。彼は「ガリ勉」といわれることをものともしない強靱な精神の持ち主で、休み時間にも友達と話すこともなく参考書を読んでいました。なんだかんだで人の目を気にしがちだった私にとっては、尊敬もし羨ましくもあり、私が明確に意識していたライバルでした。
そして、ライバルのことを具体的に思い浮かべると、がぜん本気になれるというか、一生懸命になれることに気付きました。テスト前、ちょっとのんびりして、テレビを見たりすることもあります。すると、頭の片隅に、私が休んでいる間に、こつこつと勉強を続けている彼の姿が浮かんできます。そうするともうテレビには集中できなくなります。