ザ・芸能界な華やぎの象徴「聖子・明菜・キョンキョン」

今年も残すところあと1ヶ月あまり。この時期になると芸能エンタメ業界はにわかに慌ただしく華やかになる。
とくに歌い手界隈においては、ディナーショー、クリスマスコンサート、歌特番に紅白歌合戦、年越しライブ……とファンにとってはありがたく、興行的には稼ぎどころ必至のシーズン到来だ。

今年はそうした年末年始の華やぎを象徴するような芸能人たちの活動が目立った年だった。
YouTube配信やバースデーイベントで復活した歌姫・中森明菜に、連ドラに映画にフェスと多方面で精力的な活動が注目された究極アイドル・小泉今日子、そして来年の45周年を控えてのツアーとディナーショーが変わらず盛況であるスター・松田聖子。
80〜90年代の芸能界を代表する女性3人の、いくつになっても褪せることのない輝きを再認識した1年だったともいえる。

今年は久々に聖子の武道館コンサートを訪れ、いい意味での年齢不詳のアイドルっぷりをめいっぱい楽しんだ。
なつかしさもあって、帰りの電車でなんとなく聖子のwikiを眺めていたら、最初の離婚が35歳であることに気づき、少々驚いた。

「へえ、意外に年いってたのだなあ」と。

35歳で神田正輝と離婚した松田聖子

松田聖子は3回結婚している。
最初の相手はいわずとしれた俳優の神田正輝で、当時ふたりの名前から「聖輝の結婚」とマスコミも世間ももてはやし、結婚式はテレビ中継され、報道陣はハネムーン先のハワイまで押しかけた。
ハワイのヨットでの囲み取材中に、神田の持つ缶ビールを奪ってひと口飲む聖子の姿に、名ナンバー『マイアミ午前5時』の歌詞が脳裏に流れた人も多かろう。

これが1985年、聖子23歳のこと。

その年の紅白歌合戦出場を最後に妊娠・出産のための休業に入り、翌年10月に沙也加さんを出産。同年6月には妊娠中にレコーディングしたアルバム『SUPREME』をリリースしており、この年の日本レコード大賞アルバム大賞を受賞したうえで同番組でメドレー歌唱、さらに大晦日の紅白にも出場し、『瑠璃色の地球』を披露した。

1986年6月に結婚後初のオリジナルアルバム『SUPREME』(CBS・ソニー)をリリース。レコーディングは妊娠中に行われた。楽曲陣には、南佳孝、来生たかお、大沢誉志幸といった当時の一線級のアーティストたちを迎え、聖子自身も一曲作曲を担当。全曲の作詞とプロデュースは松本隆が担った
1986年6月に結婚後初のオリジナルアルバム『SUPREME』(CBS・ソニー)をリリース。レコーディングは妊娠中に行われた。楽曲陣には、南佳孝、来生たかお、大沢誉志幸といった当時の一線級のアーティストたちを迎え、聖子自身も一曲作曲を担当。全曲の作詞とプロデュースは松本隆が担った
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これらがわずか2年足らずの間に起きたこと。なんなら神田との結婚の前には、誰もが結婚秒読みと思っていたヒロミ・ゴーとの破局までついている。

電光石火、とっとと結婚して、とっとと産休育休に入り、とっとと復帰したのである。

歌手活動の本格復帰作となった1987年4月リリースのシングル『Strawberry Time』 CBS・ソニー)。作曲はレベッカの土橋安騎夫。出産後もそれまでと変わらないアイドルスタイルで活躍する様子は「ママドル」という呼称を生んだ
歌手活動の本格復帰作となった1987年4月リリースのシングル『Strawberry Time』 CBS・ソニー)。作曲はレベッカの土橋安騎夫。出産後もそれまでと変わらないアイドルスタイルで活躍する様子は「ママドル」という呼称を生んだ

だから驚いたのだ。
離婚が結婚12年後の1997年1月、35歳のときであったことに。
だって離婚までもが、とっとといってしまったような印象だったから。