「ひとりみ」リスクに警鐘を鳴らした僧
『沙石集』の著者の無住も出家者ですが、ある僧が、道行く人に「結婚」を勧めていたとして、こんなエピソードを紹介しています。
大和の松尾(まつのお)という山寺に住んでいた中蓮房(ちゅうれんぼう)という僧が、〝中風(ちゅうぶ)〞(脳出血·脳梗塞のあとで現れる半身不随の症状)になって、竜田の大路のほとりに小さな庵を結んでいた。
彼は、この大路を、山寺の僧たちが登るたびに、「御房は聖(ひじり)でおられるか」と尋ね、「聖」と答えると、「一刻も早く妻を持ちなさい。私は若い時から聖でしたが、弟子や門徒は数多いけれど、このような中風となって不自由な身になってからは、『そういう者がいる』とも、彼らは思い出しもしません。そのまま生活できなくなって……(中略)……さすがに命も捨てられず、道ばたで命をつないでいるのです。
妻子があれば、これほど情けないことにはならなかったと思います。少しでも若い時に妻を持ちなさい。長年連れ添えば、夫婦の情けも深まるでしょう。こんな病に、自分は絶対かからないとは思うべきではありません」そんなふうに勧めたといいます(巻第四ノ九。本によっては巻第四ノ四)。
この僧は、ひとりみでいることのリスクに警鐘を鳴らしているわけです。
もっともこの話を紹介した無住は、その直後の話で、40歳の尼(本によっては30歳)と同棲して殺されかけた70の老僧の実話を紹介し、「こうしたことを考えると、さっきの〝中風者〞の勧めにもむやみに従うべきではない。どんな悪縁や思いがけない災難にも、あわないという保障はない。よくよく物事を汲み取って考えるべきだ」と、結婚のリスクをも説いています(巻第四ノ十。本によっては巻第四ノ六)。
確かに、結婚には配偶者や子、さらには姻戚による「DV」や「モラハラ」等々、さまざまなリスクがつきものです。むしろ「ひとりみ」のほうが、リスクは少ないとすら言えます。